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2008年04月の記事 (1/1)

フィリピン語学留学 Part5

フィリピン語学留学1 
頭で覚えることの限界


 はじめは国際シンポジウムへの招聘を受け、ビジネスライクに考えていたフィリピン出張であったが、思いもかけず思索に富んだ素晴らしい旅となった。異文化に触れ、現地の人々と交流することは語学上達の近道でもある。勤勉な日本人は何事もねじり鉢巻で勉強しようとする。語学学習においても、ねじり鉢巻で覚えなければならない部分は確かにある。複雑な構文、専門用語などは体験を通して自然と身に付くようなものではない。しかし、ねじり鉢巻の学習にも限界がある。パチンコでホルコン(ホールコンピュータ)の仕組みだけ勉強して攻略にかかっても常勝者にはなれないのと同様、語学学習も強烈な経験を通して体得した自分なりのノウハウなくして進歩はない。

                            
環境変化の重要性


 マザーテレサの英語には独特な訛りがあるが、コミュニケーション力に関して、彼女はネイティブスピーカー以上のものがある。明らかに体で覚えた英語である。日本語しか話されていない我が国で英語を学ぶためには、環境の一大変化が必要であろう。私には海外留学、海外在住の経験がないが、20代前半から外国人との接触が頻繁にあった。遊び仲間の大半が外国人という時期もあった。この環境変化がターニングポイントとなったことは否めない。

                             
労多くして実りなし


 語学留学とは直接関係のない話を綴ってきたが、外国に行き、異文化と出会い、発想の異なる人々との交流することは語学学習に欠かせない要素の一つである。そこで目にした、あるいは、耳にした日本では考えられない現実に驚き、思索に耽ることが脳細胞を活性化させ、思考力のスケールを大きく広げる結果につながる。今回の旅でいえば、道端で出会った男との何気ない会話などは授業料のかからないレッスンでもあった。話す内容は他愛のない事柄であっても、初対面の人との会話で緊張をほぐすテクニックや咄嗟に反応するスキルなどが養われる。難しい英字新聞や英文雑誌を毎日多読すれば、それなりのボキャブラリーや文法力が身に付く。しかし、だからといって必ずしも会話力が上達するとは限らない。英語を学習する日本人の大半が労多くして実りの少ない方法で勉強をしている。

                       
体当たりでマスターする英語


 生前のマザーテレサはどれだけ歯をくいしばって英語を勉強したのであろうか。若い頃、机に向かい集中して学習した時期は確かにあったと思う。しかし、激務の中にあって、勉強ばかりに没頭することはできなかったはずである。特に、Missionaries of Charityを設立してからの彼女は自由時間の一切ない状態が死ぬまで続いた。彼女の一日は早朝のミサから始まる。そして、就寝するまでの間は祈りと労働のいずれかに従事している。遠出をする時も電車や車の中ではロザリオを祈っている。祈りが終われば労働が待っている。

 厳密に言えば、彼女にとって労働さえも祈りの一形態にすぎなかった。祈りの言葉は唱えなくても、貧しい人たちとのふれあいの中で彼女の心は神と交わっていた。労働奉仕を通して神を賛美し、自分の願いを神に託す。これを祈りと言わずなんと言おう。こんな彼女が達者な英語を操るのは常に頭をフル回転させ体験から英語を学んだからにほかならない。

                   
ヒートアップする韓国人の英語学習熱


 既述の通り、フィリピン語学留学は韓国人が考えた絶妙なアイデアである。まず物価が安い。渡航費も安い。これはフィリピンにとっても国益につながる。経済状況が芳しくないフィリピンは常に危機打開のウルトラCを模索している。一時期はナタデココの輸出で大いに盛り上がったが、食品業界には浮き沈みがあり、ブームが去れば祭りの後の静けさしか残らない。多くの実業家がナタデココの工場を作ったが、一部だけが残り、他は倒産してしまった。もっと安定した収入源がないものかとフィリピン経済界が苦慮している時に韓国人の間でフィリピン語学留学のブームが起こり、このブームは予想外に長続きしている。この国際化の時代に英語をマスターしたいと強く願う韓国人は多い。近年では韓国のビジネスマンがフィリピンで語学学校を立ち上げるケースも増えてきた。韓国人は豊かになったとはいえ、日本人と比べるとまだまだ収入が低い。日本人でもアメリカやイギリスへの留学となると懐がかなり痛む。韓国人はなおさらであろう。そこで近隣の英語圏、フィリピンに着目したわけなのだが、いつまでたっても人々の英語学習熱は冷めることがない。

                      
素人離れした英語であればよい


 フィリピンの英語学校というのは日本の英会話学校とほぼ同じと考えてよいが、幾つかの点で異なる。まず講師はフィリピン人である。当然ながら高学歴で英語の発音の良い人が講師になるが、フィリピン人の中で発音が良いといっても、英米人の発音には及ばない。これを気にする日本人は多いかもしれないが、実利を重んずる韓国人は意に介さない。この点は韓国人の方が利口かもしれない。フィリピンで英語を学べば、多少なりともフィリピン風の英語になる。しかし、フィリピンは立派な英語圏であり、ニュースも新聞も中心となるのは英語である。日本人には理解できない感覚かもしれないが、フィリピン人は国語(タガログ語)、現地語(ダイアレクト)、英語を巧みに使い分けて生活している。英語一色ではないので厳密な意味ではネイティブスピーカーとは言えないが、彼らにとって英語は決して外国語ではない。公用語である。公用語として英語を話す人々から英語を学び、彼らと同等のレベルになれば、その人の英語はもはや素人離れしたものとなる。これで上等ではないかというのが韓国人の考えだが、私も同感である。

                           
ホテルが学校に変身


 フィリピンの英語学校と日本の英会話学校との第二の違いは授業時間である。日本の英会話学校はワンレッスン2時間くらいが標準であるが、フィリピンでは朝から晩まで集中講義が続く。スパルタ式の学校になると一日10時間のレッスンというところもある。食事と睡眠の時間以外はほとんどレッスン漬けということになる。ここで問題となるのは宿舎である。すぐ近くにホテルがあればよいが、なかなかそうもいかない。道路事情が悪く常時、交通渋滞が当たり前になっているフィリピンではホテルからバスやタクシーで通学するのも難しい。ところが、語学留学ブームに相乗りする形でフィリピンのホテル産業がこの業界に進出し始めた。早い話がホテルから学校への衣替えである。

                            
ホテルのメリット


 ホテルが英語学校になれば、こんな楽なことはない。今までの客室が生徒の宿舎になる。もはやバスやタクシーで通勤する必要もない。通勤はエレベーターとエスカレーターで事足りる。ホテル内のレストランは生徒たちの食堂としてそのまま営業すればよい。宴会場、催事場はそのまま教室として使える。今まで清掃などをしていた従業員は従来通りの業務を続ければよい。大都市のホテルの入り口にはタクシー乗り場があるので買い物や週末の遊びはタクシーを利用すればよい。ちなみに、今回のフィリピン紀行において、私はタクシーを多用したが、セブ島でも一般のタクシーは非常に安く、一時間乗っても日本円にして300円くらいであった。5千円もあれば、一日チャーターすることも十分に可能であろう。平日は英語の勉強、週末はタクシードライバーを自分の専属運転手代わりにして遊び回るのも面白い。


照れずに英語を話す


 フィリピンではとかく評判の悪い韓国人であるが、フィリピンに語学留学すれば、高確率で韓国人がクラスメートになる。韓国人がフィリピン人講師を雇って経営している学校ならば韓国人だらけといっても過言ではない。韓国では相当な年配者は日本語が話せるが、若い韓国人は当然ながら日本語がわからない。日本人も韓国語がわからない。必然的に日本人と韓国人が共通語としての英語でコミュニケーションをとることになる。ここにもう一つの醍醐味がある。

 日本人も韓国人も英語力に大差はない。母国語訛りの特徴も比較的似ている。両者ともに初心者は簡単な言葉しか知らないのでブロークンの会話でも割と通じやすい。
又、能力別にクラス編成を行うため、クラスメートは全て自分と同レベルということになる。ネイティブスピーカーと違って速く話すこともないので、互いにスローな英語でコミュニケーションをはかる。これが非常に役立つのである。照れずに英語を話しているうちに、英語を話すことになんの抵抗もなくなるからである。

                        
つまらないプライドを捨てる


 本来、ネイティブスピーカーの英語が流暢で外国人である日本人の英語が下手くそなのは当たり前のことである。ところが、つまらないことでプライドの高い日本人はネイティブスピーカーの前で無意味な劣等感を抱きやすく、妙な緊張感に包まれ、なかなか思うように英語が話せない。しかし、相手が自分と同レベルの英語しか話せない人であれば、急にリラックスして予想外にスムーズな会話ができることもある。この体験が貴重な副産物である。英会話習得の第一歩はつまらないプライドをかなぐり捨て、間違いを恐れず着実に声を出すことである。

                            
ひと味違った留学を


 このように英米留学とはひと味違った魅力をもつフィリピン留学が韓国ではブームになっている。日本も遅れてはならない。なにしろフィリピンは近い。簡単に行って帰ってこられる。どの学校も一ヶ月を一つの区切りにしているところが多いので、大学生であればバイトで少しお金を貯め、夏休みをつぶせばセンセーショナルな体験の数々ができるであろう。

 さて、気になる費用は一ヶ月で大体10万円から20万円の間である。(航空運賃を除く)これでも高いと見るか、逆に安過ぎると見るかは個人の価値観によって違いが見られよう。ともあれ、今回、私がフィリピンの旅で体験したようなドラマティックな出来事が皆さんの身の上にも起こるに違いない。

 机の上での勉強、路上での体験学習、強烈な異文化空間で育まれる幾多の思索、重なり合う思念の数々が生み出す新しい自分への脱皮・・・これらが一体となり、そこからパワフルな英語力の新芽が伸び出す。この瞬間を見逃してはならない。この瞬間が来たことを実感した人は努力さえ怠らなければいつの日か必ず話せるようになる。

                                
旅の途中


 先日、女房が米米クラブの石井竜也(カールスモーキー石井)氏のご自宅に招かれた。石井夫人(カナダ人)にお会いする用があったのだが、たまたまご自宅におられた石井氏からご自身のCDをプレゼントされた。「旅の途中で」というニューシングルであるが、どうやら発売前のものであったらしい。私はポップス系の歌をあまり聴くことがないが、CDのジャケットに惹かれるものがあり、早速、視聴してみた。素晴らしい作品であった。一般に演歌はメロディーがマンネリ化していて、ポップスはく歌詞がいい加減なものが多い。しかし、石井氏の作詞した曲は歌詞の内容に重みがあった。

♪ どこまでも続く道を 歩いている地平線の向こう
旅の途中 目指す場所までは まだ辿り着けそうもない ♪

 このフレーズが何度も繰り返された後、                              

♪ 旅の途中で ふと気がついた事は
どんな事でも超えられる道はあって
俺の力で乗り越えて行くしかない
さあ 歩き始めよう ♪

 という歌詞で終わっている。然様、英語も然り。始めたばかりの頃はとても話せるようになるとは思えない。何度も壁にぶつかる。しかし、その壁を乗り越える道はきっとある。英語学習に取り組んでいる皆さんは絶対に諦めてはならない。人生の長旅の途中には幾度となく試練が待ち受ける。バラ色の未来はその試練の先にある。

 全てを忘れ、真っ白な心で、どこまでも続くセブの海の彼方をみつめてみよう。
 水平線の向こうに、見果てぬ夢が揺れている。(了) 

リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)


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フィリピン語学留学 Part4


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自殺者の少ないフィリピン


 冒頭で日本の自殺者の数が異常に多いことに触れたが、フィリピンでは誰かが自殺をすれば大騒ぎになる。自殺を猟奇殺人と同じレベルで驚く人もいる。人は自ら生きているのではなく、「神によって生かされている」という考えが大半のフィリピン人にはある。神からいただいた尊い命を自ら絶ってはならぬということは日曜日に教会に行かない怠け信者でさえ心得ている。神から授かった命は神の計画によって終わりを迎えると信じている。その終わり方が老衰であろうと、病であろうと、交通事故であろうと、「全ては神のはかりしれない摂理のうちにある」と彼らは考える。自ら死を選ぶということは、無断で神の計画を変更させることになるので失礼極まりないことであると、無学な人も高学歴の人も信じている。それが自殺発生率の低さにつながっているのは火を見るより明らかである。

                            
本質を見ない専門家


 日本では年々増加する自殺の原因を生活苦に求める風潮が強い。では、何故、貧しかった戦時中の方が自殺者の数が少なかったのかという素朴な疑問に直面するが、それに対する答えをうやむやにしながら「貧困が自殺の最大の原因である」と強引に結論を下す専門家が後を絶たない。実際は逆である。貧しい国ほど自殺者が少ない。冒頭では物乞いの話もしたが、インドに行けばフィリピンの何倍もの物乞いで賑わっている。中には重病にかかり、病院にも行けず、瀕死の状態で生きている人もいるが、誰も自ら命を絶とうとはせず、自然の死を待っている。

                            
マザーテレサの名言


 インドの貧民街で死にかけた人々を抱擁し、施設に運んで世話をしたノーベル平和賞受賞者、福者マザーテレサは多くのジャーナリストからその福祉事業を称えられるたびに「私は福祉事業家ではありません」とむきになって反論した。彼女は常にこう語った。

 「私たちの施設には、病院のような高度な医療設備もなければ高価な薬もありません。私たちは尊い生命の終焉を迎えようとしている人に人間の尊厳をもって死んでいただくためのお手伝いをしているだけです」

 確かに、その施設の名は日本語に訳せば「死を待つ人の家」である。彼女はいつでもどこでも同じことしか言わないシンプルな人である。シンプル性を最大のセールスポイントにした初代海物語と同様、そのわかりやすさに人気があった。上記の台詞などは世界各地で何千回繰り返されたことだろう。何千回も繰り返された彼女の名言には次のようなものもある。

「愛の反意語は憎悪ではありません。愛の反意語は無視(無関心)です」

 ずしりと心に響く言葉ではないか。インドで彼女に抱かれ施設に運ばれた人は死ぬ直前に満面の笑みを浮かべて生涯を閉じるという。誰からも相手にされず孤独の淵に沈んでいた人がほとばしる愛に触れ、人間の輝きを取り戻す。こう言えばロマンティックになるが、彼らの体にはウジが沸いている。何年間も風呂に入っていないような人々を彼女は抱擁し続けたのである。自分にこれができるだろうか。一回くらいはできるかもしれない。いやできる。しかし、飽きもせず何十年にわたり信念を貫き、不潔な貧民を抱擁し続ける忍耐力は自分には絶対にない。しかし、彼女はそれを喜びながら実行した。これは何億円もの寄付を貧民に施すよりも偉大なことであると思う。

                           
金持ちの娘から修道女へ


 残念ながらマザーテレサの名言は日本のマスコミでも報道されたが、それを理解する人はほとんどいなかった。今回のフィリピン紀行においては、現地の高位聖職者をはじめ、カトリックの司教、司祭らとの出会いの場もあった。彼らの話によれば、マザーテレサの設立したMissionaries of Charity (神の愛の宣教者会)への入会志願者がフィリピンでは急増しているらしい。しかも、極めて裕福な家庭で育ち、名門大学を卒業し、華やかな職業に従事する若い女の子が突然世を捨て、Missionaries of Charityの修道女(シスター)になるケースが多いという。フィリピンとは実に不思議な国である。

                               
深い孤独


 私は考えた。日本で自殺者が多いのは深い孤独と関係があるのではないか、と。誰からも相手にされず、声さえもかけられず、愛する人もいなければ自分を愛してくれる人もいない。この状況で人は絶望のどん底に追いやられ、衝動的に電車のホームから飛び降りたり、ビルの屋上から飛び降りたりするのではなかろうか。飛び降りた瞬間に「こんなことはすべきでなかった」と一瞬、後悔した後に死という結末を迎えるような気がするが、死人に真相を尋ねることはできない。いずれにせよ、貧困が人の人生を狂わせるのは事実だが、貧困そのものが自殺の直接的原因とは思えないのである。

                                
離婚


 人の不幸は自殺だけではない。人の心に大きな傷跡を残す離婚も不幸と言わずなんと言おう。夫婦が毎日のように口論しているうちはその夫婦に離婚はない。しかし、口論しなくなった後は、和解ではなく離婚に向かって突き進んでゆく。もはや相手の存在に関心すらなくなると、人は言い争う気持ちさえ起こらない。互いに静かに無視し合い、なんの諍いも起こらなくなる。そこには冷え切った空気だけが残る。争いがないというのは一見すると平和そのものに思えるが、実は平和とは対極の状態がそこにある。マザーテレサが言うように、「愛」の反意語は「争い」ではなく「無視」である。

                            
うわべだけの愛


 奥さんの言うことをなんでも聞き入れてあげたのに離婚されてしまう哀れな男が世の中には少なくない。

 たとえば、わがままな妻が「この服買ってちょうだい」と夫にせがむ。夫はその高価な服を妻に買い与えれば子供の学費を支払うのが苦しくなるという考えが脳裏をかすめる。しかし、渋れば妻がうるさいので仕方なく買う。そして、今度は「新車がほしい」と妻のわがままぶりもますますエスカレートしてくる。本来ならば、夫はこのあたりで一家の長としての正しい権能を行使し、「贅沢はやめろ」と妻を一喝すべきである。「今は買えないが、あいつ(子供)が大学を卒業して社会に出れば一段落する。その時まで待ってくれ」とでも言えばよいものを、口論になるのが面倒なのでついつい買ってしまう。愛情から湧き出たプレゼントであれば、どんなに安い物でも女は幸せになる。逆にどんなに値のはる物であろうと、「面倒くさい」、「これ以上かかわりたくない」という動機から生まれたプレゼントであれば女は満たされない。

                              
愛なき孤独


 わがままな女ではあっても、女性は一般的に人の心の微妙な動きを読みとるのが男よりもうまい。結果的に妻はなんでも言うことを聞いてくれる便利な夫に愛想を尽かす。「この人は私を愛しているのではなく私を煙たがっているだけなんだ」、「この人はもう私のことに無関心だから叱ってもくれない」、このように考え、ある日、突然、妻の方から離婚話を持ち出され、「何故なんだ? なんでも言う通りにしてやったのに」と男は狼狽する。こんなことが日本の家庭には多いような気がする。愛のない孤独の世界で人は生きてゆけない。自殺に限らず、離婚の増加も深い孤独との関連があるように思えてならない。

                              
社内のイジメ


 会社でも同じことが言える。無能力社員という烙印を押され、窓際部署に追いやられた人は一日の過ごし方に苦労する。これといった仕事もないので自分で何かを提案して自分の仕事を作らなければならないわけだが、誰に何を提案しても全く相手にされないため、ますます居心地が悪くなる。大企業ならば余剰人員を養うこともできるので、その人は決して解雇にはならない。これといった仕事もなく毎日、定時で退社できる。連日の残業に苦しむ人は少しばかり憧れるかもしれないが、このような境遇に陥った人々の大半は自ら会社に辞表を出す。そして、前の会社よりも遥かに給料の低い会社に再就職したとしても、そこで自分が価値ある存在として認められ、多くの人の関心の的になれば、その人は再び幸福を取り戻す。

 他人から向けられる敵意には辛うじて耐えられても、徹底無視のレーザービームには誰も耐えることができない。子供のイジメ(校内のイジメ)も大人のイジメ(社内のイジメ)も本質は同じなのかもしれない。

                                 
命の泉


 暗い話はもうやめよう。それにしても、たった3万円でフィリピンに行って帰ってきただけなのに今回の旅はいろいろな思索を私に与えてくれた。飽きるほど聞いた韓国人の批判だけは少し耳に痛かったが、南洋の国の純朴な人々と出会い、貧しいながら強い信念に支えられた生きざまを目にした私には、命の泉とでも言うべき活力が沸いてきた。

(Part5へ続く)


リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

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フィリピン語学留学 Part3

フィリピン語学留学3 
テーブル一個からの出発


 道端で出会った男と別れてから私はTanburiというセブ有数のリゾート地に向かった。D氏がビーチでのバイキングランチを予約しているという。D氏はフィリピンで最も偏差値の低い大学を卒業した男である。日本以上に学歴重視のフィリピンでは経済事情の悪さも手伝って、まともな大学を出ても、強力なコネでもない限り、なかなか能力に見合った仕事に就くことができない。大学院進学率の異常な高さがそれを物語っている。D氏もこの学歴差別に何度も泣き、新婚ほやほやのマニラ在住時代は子供に与えるミルクすら買うことができなかったという。ついに安アパートの家賃も払えなくなり、妻子を連れて田舎に帰るしか道はないと覚悟を決めた時に思わぬ援軍が現れた。青年時代にマニラのカトリック教会で知り合った友人が出世して、サイドビジネスとしてアパート経営を始めていた。そこにしばらくの間、無償で住んでよいという話が持ち上がったのである。九死に一生を得たD氏はそのアパートにもぐり込み、なけなしの金をはたいて一個の冴えないテーブルを買ったという。

                           
成功の陰に努力あり


 「テーブルがあれば、自然と食欲が沸いてくる。このテーブルにおいしい食べ物を乗せるためには、歯を食いしばって働く必要がある。私はこのようにして自分を追い込み、徐々に生活レベルを上げていった」   
 と彼は述懐した。
「はじめは、狭い部屋にテーブル以外の家具が何もない状態だった。気がつくと夫婦一組分のベッドがあった。しばらくすると、食器棚も入っていた。やっと、まともに食えてまともに寝ることができるようになったというわけさ」
 彼は遠い彼方に視線を投げてこう語ると、一粒の涙が頬をつたって流れ出した。
「湿っぽい話になっちまったな。enkaの題材になるか?」
 不意に質問された私は
「このくらいのことでは、演歌にはならないが、それにしてもよく日本のことを知ってるな」
 と返すのが精一杯であった。日本のことを知っているというよりも、私が演歌好きであるという情報まで仕入れていた彼に感心することしきりであった。

                          
美しきハイビスカスと男の友情


 Tanburiの海は輝いていた。ハイビスカスの花があたり一面に咲き乱れていた。スーパー海物語IN沖縄のハイビスカス・フラッシュを遥かに上回る感動がそこにはあった。食事の席につくと、若かりし頃のD氏を窮地から救った恩人、E氏を紹介された。若い頃から出世組であったE氏は現在、自分の会社を持っており、アメリカの病院をクライアントにアウトソージング事業を営んでいる。D氏は若い頃に無償でアパートを提供してくれたE氏への恩返しとして、このリゾート地に招待したという。目の前で展開された男の友情物語に今度は私が泣いた。

                                
経営談義


 E氏と私は初対面であるにもかかわらず、妙に気心が通じ合い、いろいろな話をした。大学院で経営学を学んだインテリのE氏は日本型の経営、台湾型の経営など幾つかのモデルを研究しているうちに、日本文化にも興味を持つようになり、英文で書かれた日本史の本や武士道の本などを読み漁ったという。映画「ラスト・サムライ」にも感動したという。
「ケン・ワタナベは素晴らしい役者だ」
 と何度も繰り返し絶賛していた。

 その後、話題が経営の話に及んだので、私は自分が盟友とともに『リヴィエラ倶楽部』なる組織を立ち上げ、インターネット上でパチンコ攻略法(最強攻略法・海殺しX)を販売していることを打ち明けた。日本では、パチンコ攻略法を偽物ばかりの詐欺まがい商法と決めつける人が少なくない。実際、販売されている攻略法の大半がインチキであることは否めない。真の攻略法を廉価にて販売している我々にとっては、そのような世論はたまらなく腹立たしいものである。しかし、日本人でなく、そんな偏見はもとからないE氏は興味深く私の話に聴き入り、経営のプロとしての観点から有益なアドバイスの数々をレクチャーしてくれた。私にはまともな職業(英語通訳)があるが、海外で裏の顔(パチプロ)を明かしたのは今回のE氏がはじめてである。何故か心を許せる雰囲気がE氏にはあった。二人の会話を傍で聞いていたD氏が飛び上がり、
 「なんという組み合わせの兼業だ!」
 と腰を抜かしていたのが面白かった。

                          
ジェットスキーの誘惑


 食事の後は浜辺でビリヤードやカードゲームに興じていたが、四方八方に咲き乱れるハイビスカスが私を誘惑してやまなかった。ハイビスカスの花を見てスーパー海物語IN沖縄を連想してしまうのは職業病といってよい。私はスーパー海物語IN沖縄の沖縄モードで出てくるジェットスキー・リーチを思い出した。普段はフィリピンの海に潜り、魚群に出会って喜ぶ私であるが、今回はスキューバダイビングでなくジェットスキーをやってみたくなった。

 早速、ダイブショップのオーナーに会い、ジェットスキーを持っているかと尋ねたところ、「シーズンオフだが1台だけは用意してある」という。結構な値段ではあったが、スーパー海物語IN沖縄でジェットスキーを見事に操るワリンちゃんのように、誰も泳いでいない広大な海を思い切り疾走してみたいと私は思った。今回のフィリピン紀行において、旅費、交通費、宿泊費の大半は身銭を切っていない。食事も常に誰かの接待に預かったため、結局、成田―自宅間の交通費も含めて、かかった費用は3万円にすぎなかった。この3万円の約半分がたった1時間のジェットスキーで消えた。

                       
常夏の国で歌った「冬のリヴィエラ」


 はじめて操縦するジェットスキーの味は格別であった。私は常夏の国の海上で、「冬のリヴィエラ」を歌いながら猛スピードでジェットスキーを走らせた。何故、冬でもないのに「冬のリヴィエラ」を歌ったのか。リヴィエラ倶楽部の由来(http://www.umigoroshi.com/club.html)ともなったこの歌のあるフレーズを思い切り叫んでみたかったのである。

♪人生って奴は思い通りにならないものさ♪

 人生はなかなか思い通りに進んでいかない。しかし、どんなに辛いことが多くても、どんな逆境に陥っても、そこには必ず幸せもあるというのが私の信条である。今の自分の仕事も最初から志したものではない。サラリーマンにはない辛さも多い。しかし、ゴールデンウィークでも夏季休暇でもないこの時期に優雅にジェットスキーを楽しむことができるのも、よくよく考えれば幸せなことであろう。

(Part4へ続く)
リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

パチンコのことはおまかせ


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フィリピン語学留学 Part2

フィリピン語学留学2 
有名なジョーク


 フィリピンはスペインとアメリカの支配を受けた歴史を持つ国である。第二次大戦直後、フィリピンでは、次のようなジョークが流行した。

 スペイン人は偉大な宗教(カトリック)を残してくれた。
 アメリカ人は偉大な教育制度を残してくれた。
 日本人は何も残さなかった。

 最後の一行が日本人には不愉快でならないが、最近では日本を評価する人が増えている。戦後、日本は東南アジア各国に莫大な賠償金を支払ったが、日比両国は高山右近の時代から長い友好の歴史があるためか、東南アジア諸国の中でも、戦後の日本はフィリピンに特別な貢献をしてきた。

                       
日本政府のプレゼント


 戦時中、日本軍に追い詰められ、”I shall return.”(「戻ってくるぞ!」)の絶叫とともにオーストラリアに逃れたマッカーサー元帥が”I have returned.”(「戻ってきたぞ!」)の名台詞とともにカムバックしたのはレイテ島であった。そのレイテのすぐ隣にあるサマール島は、言語学的には同じ言語圏(ワライ語)であり、文化人類学的にはほぼ同一文化圏でありながら、フィリピン全土の中で最も貧しい島と言われる。物資の供給はレイテの州都、タクロバンからの運搬に依存しているが、アクセスの利便化のためにはレイテ・サマール間を結ぶ瀬戸大橋のような強大なブリッジが必要であった。戦後賠償事業の一環としてこの大橋(サンワニコ・ブリッジ)を我が国が無償で建設したためか、レイテでもサマールでも総じて日本人に対する好感度は高い。しかも、その大橋はレイテとサマールの頭文字であるSとLをつないだデザインになっている。芸術をこよなく愛し、何事にも芸術的な付加価値を求めるフィリピンの人々にとって、これは素晴らしいプレゼントになった。

 六本木にあるフィリピン大使館は日本政府がフィリピン政府に無償で提供した土地の上に建っている。こればかりではない。新聞等で報道されることはまずないが、今でも日本政府や外務省の外郭団体であるJICAはフィリピンの政治家、実業家などをアゴアシ付きで招待し、様々な研修を無償で施している。私はこのような研修で来日するフィリピン人の通訳を数え切れぬほど経験した。皆一様に日本への感謝の念に満ちていた。当然といえば当然であろう。日本からの恩恵を受けている人々が日本の批判などするわけかがない。

                        
戦時中のひどい話


 フィリピンの奥地に行けば、戦時中に日本兵から非人道的な扱いを受けたという恨み節にも出会うことになる。赤ん坊を串刺しにされて殺されたというような信じ難い話も至るところで聞くことになる。悪魔的な異様な雰囲気が全世界を覆い、人類全体が血で血を洗うような浅ましき殺戮行為の奴隷となっていた20世紀中葉の出来事であれば、このような話も真実には違いない。マレーシアあたりに行けば、そのようなひどい話は山ほどあり、一部の兵士の暴走とはいえ日本人である私までも当時の日本兵を恨みたくなる。

                            
ゆるしの文化


 しかし、過去は過去、今は今と割り切れるところがフィリピン人の素晴らしさである。中国や韓国の人との最大の違いがそこにある。この背景にはスペイン人が残した宗教(カトリック)の影響が極めて強いように思われる。カトリックに限らず、プロテスタントも含め、キリスト教の教えの根幹の一つは「他人の過ちを赦すこと」にあると言われる。フィリピン人の85パーセント以上を占めるカトリック教徒は日曜日に教会で次のように祈る。

Forgive us our trespasses as we forgive those who trespass against us.
(我等が人に赦す如く、我等の罪を赦したまえ)

 有名な「主の祈り」(主祷文)の一節である。人間は誰もが罪びとなので、自分のことを棚にあげて人のことを責めるべきではないという考えが根底にある。人の罪を赦さなければ自分の罪も赦されない。これこそがキリスト教の最も大切な教義の一つである。キリスト教徒でなくても知っている聖書の有名な話にこんなものがある。

                            
マグダラのマリア


 マグダラのマリアという売春婦が姦通の現行犯で捕らえられた。当時、ユダヤ人には律法と呼ばれる掟があり、それによれば、姦通の罪を犯した者は石打ちの死刑に値するとされた。自ら苦しむ人の友となり、時には律法違反まで犯して、見知らぬ人を助けたキリストを律法学者や祭司たちは「反逆の革命児」と見做し、激しい怒りに震えていた。そのため、意地悪の限りを尽くしたと言われる。全てはキリストを捕らえ処刑するための口実を作るためであった。律法学者はキリストがこの女を助けるかどうかを試した。もしキリストが女を庇えば、聖なる律法を踏みにじったことになるので、それも訴状の一つになる。

「律法によれば姦通罪は死罪だ。おまえはどう考える?」
 この問いに対し、キリストは
「あなたがたの中で罪のない者だけが石を持ち、この女に投げるがよい」
と答えた。今の時代であれば、「俺には罪がない」と言い、多くの人が石を投げつけるような気がしてならないが、当時の人々は純情だったとみえ、一人また一人と去っていった。誰もいなくなったところで、キリストはマグダラのマリアに
「行きなさい。もう罪を犯してはならない」
 と諭したという話であるが、映画や芝居でこのシーンを見た人は少なくなかろう。

                            
韓国人への反感


 こんな話を子供の頃からよく聞かされている国民であれば、寛容の精神が育まれるのであろう。アジアの中で反日感情が少ない国になるのも頷ける。今回のフィリピン紀行において、私は政府関係者、実業家から一般庶民、貧民に至るまであらゆる階層の人々と接触を持ったが、総じて親日家が多かったのは嬉しいことであった。ところが、日本を褒めるフィリピン人がどういうわけか韓国人に対しては不満をこぼすのである。

 アメリカに本拠を置く多国籍企業で働くD氏(セブ島統括マネージャー)はこう語った。 
「日本人は契約を締結するまで細かい注文をつけてきて面倒だが、いざ契約をすれば絶対に裏切ることはない。冗談もあまり言わず、真面目すぎて怖くなる時もあるが、非常にマナーが良く、自分は尊敬している」
「冗談を言わないというのは事実に反する。人を笑わせるほどの英語力がないだけだ。彼らも日本ではフィリピン人のように冗談ばかり言っているのだ」
と私が言うと、
「そうか。それなら、もっと尊敬できるな」
 と言い、彼は白い歯を見せてにこっと笑った。そんなお人好しの彼が韓国人の話題になると急に険しい顔つきになる。
「韓国人は交渉の時に無理難題を押し付けてくる。声もでかくマナーも悪い。煮え湯を飲まされる思いで、ことごとく無理な条件を飲み、やっとの思いで契約にこぎつけると、平気でキャンセルするから困るよ」
 これと似たような話をフィリピン滞在中に何度聞いたことか。一人や二人の戯言であれば、個人的な意見にすぎない。しかし、こちらが韓国人の話題に誘導しているわけでもないのに、誰と話しても、どこからともなく韓国人の話題が浮上し、韓国人の批判が飛び出すというのは一体、どういうわけなのだろう。

                            
韓国人批判鳴りやまず


 D氏の家の玄関の外でめくるめく陽光を浴び、煙草をふかしながらもの思いに耽っていると、低賃金労働者か浮浪者かもしくはその中間にあたる人とおぼしき男が寄ってきた。煙草を一本恵んでくれという。フィリピンではよくある「煙草乞い」である。これでその人の属するクラスがすぐにわかった。下層階級ではあるが、一応、住む家はあるというレベルの人である。煙草は乞うことがあっても、お金を乞うことはない。義務教育は受けているので英語も普通の会話くらいは難なくこなす。彼とはしばし雑談を楽しんだ。
「セブアノ語(現地語)が話せなくて悪いな」
 と私が切り出すと、流暢ではなくてもまともな文法とそこそこの発音で
「いや、俺も久々に英語を話すので、練習になって助かる」
 とキザなことを言う。会話が弾むうちに
「あんたは日本人か?」
 と聞いてきた。私が「そうだ」と答えると、
「日本人とは思えないほどきれいな英語を話すな」
 と褒めてきた。
「日本人の英語を聞く機会が頻繁にあるのか?」
と聞くと、
「ああ。日本人にも韓国人にもよく会うよ」
 と、ここでまたしても韓国人の話題になり、なんとも言えぬ嫌な予感が全身を走った。実を言うと、私はちょっとした韓国びいきで、前述の大学教授をはじめ多数の友人が韓国にいる。又、「冬のソナタ」のような韓国ドラマを高く評価している。つい最近はNHKホールで開催された韓国人歌手、ソン・シギョンのコンサートに行ってきたばかりである。(女性ばかりの中で完全に浮いていた)
 
 嫌な予感は見事に的中し、彼は韓国人への批判を始めた。
「韓国人は俺たちフィリピン人を見下すような態度をとる。少しばかり金を持っているから威張っているんだろうが、この国においては、金持ちを羨ましいと思う人はいても、金持ちであるというだけの理由で、その人の社会的成功や高学歴に対して敬意を表する奴は一人もいないってことに連中は気づいていない。人間にとって一番大切なものはハートさ。その点、日本人は心の優しい人が多い。俺に煙草を恵んでくれて、俺みたいな下々の人間に対しても決して偉ぶることなく普通に会話ができるあんたは典型的な日本人だよ。英語のうまさを除いてな」
 と実にウィットに富んだスピーチをしてきた。これにはちょっとぐっときた。

                            
体験という名の学習

 
 彼は私との会話が「英語の練習になる」と言ったが、それは私にとっても同じであった。フィリピンで初対面のお偉いさんと話をする時は、うっかり文法ミスでも犯せば自分の信用に傷がつく。それが自由自在に会話を運ぶ妨げになることも少なくない。しかし、彼のような一般庶民との会話にはなんの緊張感もないため、話すスピードも速くなるし、自分でも驚くほどネイティブ風の英語が次々と口から出てくることもある。語学留学では、まともな教室で優秀な講師の講義を聴くわけだが、それはそれでとても大事であるとしても、さすらいの旅の道中で出会う現地人とのふれあいも正式な語学留学と同等の価値を有するものであると私は思う。

(Part3へ続く)


リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

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フィリピン語学留学 Part1

フィリピン語学留学1 
隠れたブーム


 昨今では英語をアメリカやイギリスで修得するのではなく、フィリピンに短期留学して学ぶのが隠れたブームとなっている。このブームの火付け役となったのは韓国人らしい。韓国人も英語力のひどさにおいては、日本とともに世界のビリ争いをしている国民である。日本語も韓国語も文法的には非常に酷似した言語である上、両国とも国際派とはほど遠い極めてナショナリスティックな国である。日本人の英語がひどければ韓国人の英語も似たり寄ったりなのも十分に頷ける。


韓国人教授のこぼれ話


 以前、親しくしていた韓国人の大学教授は片言以上、ペラペラ未満の英語を操る人であったが、日本で世話になった私への礼状に不思議な英語を書いてきた。

Thank you very much for taking care of my private part.

 まず時制が間違っているように思えるが、このくらいの小ミスはネイティブでも犯すので大きな問題ではない。気になるのはprivate partという言葉である。きっと、「私的なことでお世話になった」と言いたかったのであろう。しかし、英語を少しでも理解する人はprivate partという単語に絶句してしまうに違いない。ブログの品格が落ちるので、訳は敢えて書かないでおこう。売春婦に宛てた礼状であれば十分に意味が通るのだが。


フィリピン出張


 さて、昨年末、フィリピンに出張する機会があった。しばらくの間、本稿のテーマと直接関係のないよもやま話の数々にお付き合いいただこう。

 某非営利団体より国際シンポジウムへの出席を依頼された私は芸能人なみに「アゴアシ付き」の厚遇を受け、約2年ぶりにフィリピンの地を踏むことになった。会場となるパークレーンホテルはセブ島にある。フィリピンにはもう何度も足を運んでいるが、セブの大地とは約10年ぶりの再会となる。会議そのものは3日で終わったが、その後、リゾート地に羽を伸ばし、大好きなマリンスポーツに興じたのは必然の成り行きであった。
海と空が出逢う場所

 セブ島はタイのプーケット、インドネシアのバリと並び、アジアの三大リゾートアイランドに数えられる。前二者とは異なり、英語圏であるため、英語さえできれば現地でのコミュニケーションに困ることはない。こんな夢の楽園が成田からわずか4時間の場所にあるというのは冷静に考えても信じ難い。ハイパー海物語INカリブで5連荘すると、マリンちゃんが歌を歌ってくれるが、歌詞の中に「海と空が出逢う場所」というフレーズがある。まさにこんな場所である。


物乞い


 日本では、大半の男性がスーツを着て、毎日、満員電車に揺られながら苦悩の日々を送っている。総じて高学歴な国民はホームレスのような不運な人を除き、誰一人、本当の意味での貧民はいない。贅沢さえしなければ、一日に三度の飯を食うことができる。しかし、どういうわけか自殺者が異常に多い。

 随分前の話になるが、私が所属するパチプロ集団、リヴィエラ倶楽部が最強攻略法・海殺しXの購入者を対象に実施したアンケートでNGOの職員から「一日に三度の飯が食える日本人は幸せです」という添え書き付きの回答をいただいたことがあった。こういう有難さは日本に住んでいると、ひたすら雑事に追われ、気づくこともないが、フィリピンに来ると、否が応でも覚醒させられる。

 観光地には必ずといってよいほど物乞いの人が溢れている。そのうちの一人に施しを与えると、公園でポップコーンを投げた後に出くわす鳩の大群の如く、飢えた人々が自分もその恩恵に預かろうと寄ってくる。昔、サラリーマンを辞めた直後、一時的ながら極貧の極致を味わった私は見かけによらず情にもろい。一人ひとりに与えるわずかばかりのチップが微力ではあっても彼らのいっときの救済につながると思うと、財布からたちまち2千円相当のペソ紙幣が消えてしまう。しかし、そんなはした金は海物語で単発一回でも出せばすぐに回収できる。こう考えるとパチンコを副業にした有難さが身にしみてよくわかる。


罪悪感?


 私がパチンコを打って、唯一、罪悪感を覚えるのは、人権無視の極悪非道国家、北朝鮮の金集めに加担していると思う時である。しかし、だからこそ負けることは許されない。北朝鮮といえども国民の大半は善良な人々である。罪もない何百万人の国民を餓死させてなんとも思わない国家首脳陣に我が国のパチンコホール(全てが北朝鮮系ではないが)で落とされた金が献上される。ならば、ホールから逆に金を巻き上げ、それを本当に困っている人に渡すのが自分の使命ではないのか。怪盗ルパンではないが、パチプロが果たせる数少ない社会還元の一つには違いない。

                        
小泉元首相に拍手


 小泉元首相は訪朝の折、笑顔ひとつ見せず、「拉致という極悪非道の人権侵害行為がこともあろうに国家主導のもとで行われたというのは誠に非常識なことだ。日本国民を代表して強く抗議する」と言い放った。よくそこまで言ってくれたと私は思った。普通の政治家であれば「遺憾に思う」くらいの表現でお茶を濁すところであろう。しかし、北朝鮮を追い詰め、世界各国から非難の嵐を浴びせるためには、通常の外交辞令にはない強いインパクトを伴った台詞が必要となる。そして、国際的なブーイングを背景に北朝鮮の暴走に歯止めをかけ、拉致被害者全員を救出するのが首相としての役割であろう。北朝鮮を四面楚歌に追い込み、クーデターを誘発することくらいしか金王朝崩壊のシナリオはないように思える。そして、ゆくゆくは東西ドイツのように韓国と合併され、朝鮮半島の北側に住む人々にも真の平和が訪れることを祈らずにはいられない。

(Part2へ続く)


リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
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海殺しX / パチンコ事始

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元日からパチンコ

 昨年の11月頃から本業が急に忙しくなってしまった。度重なる海外出張に悲鳴を上げ、猫の手も借りたくなるほど身動きが取れなくなってしまった。ようやく訪れた日本での休日、元日からハイパー海物語INカリブを打ってみようと思った。

 ところが、行きつけのホールは超満員。パチプロといえども、この状況では負けることもある。「すぐに当たる台」、「爆発する台」は見抜けても、すでにそこには人が座っている。やめるのを待っても、やめればもう座席が取れないとでも思うのか誰もやめてくれない。ホールにとっては最高の状況が訪れた。一人ひとりが休むことなく打ち続けるので、お金が落ちる、落ちる。その結果、一部の台が爆発し、爆発しなくても時間をかけて好調にドル箱を増やす台もあり、全体的には出しまくっているように見えるが、ハマリ台からの回収で十分な利益になっている。

 こんな時、妥協してあまり気の進まない台を打つとプロでも簡単に負けてしまう。私はじっと忍耐して3時間ほど打たなかった。3時間も打たずにブラブラしているのは苦痛以外のなにものでもない。私の行きつけのホールにはソファがなく、ずっと立ちっぱなしを余儀なくされた。このような状況に備えて日頃からジムで体を鍛えているが、それでも精神的な疲労は防ぎようもない。

 やっとお目当ての台が空いた。その台を打っていたおじさんは800回転を超えるハマリにうんざりしたのか如何にも不機嫌そうな表情で帰っていった。その台がひとたび当たればとてつもない爆発をする可能性を秘めているとは知らずに・・・。

 私はその席をキープした後、しばらく打たずに台を寝かせた。そして、リヴィエラ倶楽部の秘伝「ウルトラ速攻法」が使用できるチャンスが到来したのを確認して、間髪入れずに打った。わずか500円で単発当たりが来て、それが時短で確変を引き、最高9連荘を含む計18箱まで伸びた。わずか2時間の出来事であった。

私のパチンコデビュー

 その晩、私は元日から営業しているカフェバーでひとり酒を飲みながら、パチンコとの出会いと今日までの歩みを思い出していた。店のシャンデリアから放たれた光がグラスのカクテルに反射して不思議な残影を浮かべていた。

 はじめてパチンコを打ったのは14歳の時であった。年齢の割には長身で少し老けて見えた私は18歳以上と思われたのであろう。店員からお咎めを受けることは一度もなかった。当時のパチンコはチューリップ台が主役であった。CR機が世に出る遥か前の話である。チューリップ台はクギ読みで全てが決まる。当時は釘師が、毎日、各台のクギをいじり、良い台、悪い台、普通の台を作っていた。今でこそクギなど見ずに打っているが、当時はクギ読みに全力を注いだ。クギさえ良ければ必ず勝てる時代でもあった。逆にクギの悪い台に座れば、中学生のポケットマネーなどたった一回のパチンコで消えてしまう。

 はじめて勝った時の興奮は今でも忘れられない。300円の投資が1200円になった。わずか900円の利益にすぎないが、中学生の私には自分の力で稼ぎ出した、たった900円の利益が嬉しくてならなかった。

不気味な換金所

 当時の換金所は今とは違い、摩訶不思議な場所にあり、一種独特の怪しげな雰囲気を漂わせていた。たとえば、ラーメン屋の脇に10センチ四方の小さな窓があり、ブザーを押すと窓が開く。窓には片手しか入らない。換金用の景品を窓越しに渡すと、お金を握ったおばあさんの手がにょろりと出てきたりする。

 あるホールの換金所はさらに不気味であった。昭和初期か大正末期に建てられたと思われる廃屋があり、窓ガラスの一部は割れ、お化け屋敷のようなその家は蔦(つた)の葉で覆われている。その家の脇に幅1メートルの狭い通路があり、陽は当たらず、塀にはコケが生い茂っている。人がすれ違う時、一人は廃屋に、もう一人は汚い塀に背をもたれ、視線がぶつかり合う気まずいムードの中、しばらくカニ歩きをしなければならない。

 女性ならばとても行く気にはなれない場所であった。通路を10メートルほど進み右に回ると、何故か上にはヘチマがぶら下がっている。ヘチマの下をうつむきながら歩いていくと、足元にはガラスの破片、錆だらけのブリキ板、誰かの小便の痕跡などが嫌でも視界に入ってくる。薄汚いことこのうえなく、息を止めながら、そして、ヤクザ風の人とすれ違いながら、ようやく換金所にたどりつく。そこにはプレハブ作りの小屋があり、やはり小さな窓があった。もちろん、こんな場所は好きではなかったが、一人の少年にとって、形容し難いスリルとちょっとした背徳の匂いがそこにはあった。それがかえって勝利の興奮を増幅させたのかもしれない。

チューリップ台からハネモノへ

 たまには負ける時もあったが、チューリップ台で負けてもたかが知れていた。勝つ時もたいしたことないが、負ける時もかわいいものであった。毎回のように千円、2千円と稼いでは、それをコツコツと貯金して、一年で20万円ほどの貯蓄ができた。中学生にとっては大金である。私は不覚にも震えた。

 一年が経ち、高校受験の準備で忙しい時期にハネモノ台が登場した。はじめは怖くて手が出せなかった。ハネモノはチューリップ台と違って、千円、2千円がまたたくまに消える。今のCR機は1万円、2万円を簡単にすってしまう危険があるが、当時はハネモノすら怖かった。私はチューリップ台にこだわり続けたが、ハネモノは玉がVゾーンに入賞すると、一気に出玉が増える上、チューリップ台にはない爽快感があった。

 ハネモノは人々の射幸心を煽ると同時にゲーム好きな人を熱狂させた。ストローク調節のテクニックを駆使すれば、羽の開閉時間を長引かせることもできた。私はやらなかったが、機種によっては、予め玉にハンドクリームを塗っておくとV入賞率が高まると言われたものもあり、ゴトまがいのことを普通の人がやっていた。効果のほどはわからぬが、羽が開いた瞬間にハンドルを少し動かし、羽の先端に玉を拾わせるとVに入りやすいと信じて、そればかりを狙っている人もいた。これも実際に効果があったかどうかは疑わしいが、羽が開いた瞬間に、ある方向から台を叩き、圧力をかけることによってV入賞が容易になると信じ込んでいる人もいた。

 ともあれ、勝った時の金額が倍増したことと様々なテクニック(効果のないものも含め)が実践できるということが人々を魅了し、ハネモノはホールの新しい主役になった。その結果、チューリップ台はどのホールからも次第に姿を消していった。

 やむを得ず、ハネモノに転向した私であったが、当時、人気のあったゼロタイガーやビッグシューターをとことん研究し、気がつけば、ハネモノでも勝てるようになっていた。20万円の貯蓄は軍資金としては十分すぎた。ハネモノで勝つ時は5千円、6千円と勝てる。受験勉強そっちのけで私はハネモノにはまっていた。今のCR機は素人でも爆発さえすれば、ただ座っているだけで5万円、6万円と簡単に勝てるが、当時は数千円勝っただけで大人が小躍りする時代であった。中学生の少年にとって、数千円規模の勝利が言い知れぬ興奮をもたらしたことは言うまでもない。

ついにデジパチの時代へ

 さらに一年が過ぎた。ハネモノの次に出たのはデジパチであった。今のような確変はなかったが、オールセブンが揃うと大きな箱がいっぱいになる今思えば、この頃からパチンコのファン層が変わってきたように感じる。

 チューリップ台の頃、パチンコは頻度の差こそあれ、誰もが時折楽しむ庶民の娯楽であった。それがハネモノの出現によってゲーム性が格段に上がり、一時的にはファンを増やしたように見えたが、数千円単位で勝ったり負けたりするため、堅実な人はパチンコを打たなくなっていった。とはいえ、堅実な人ではあっても、たまにはパチンコを打ってみようという遊び心が十分に持てた時代であった。負けてもせいぜい数千円にすぎない。しかし、デジパチの出現はギャンブル好きを熱狂させた一方で多くの人々をパチンコから遠ざけてしまった事実は否めない。

 今のデジパチほどの博打性はないが、デジパチの出現はパチンコを万単位の勝ち負けのゲームに変えてしまった。当時のデジパチは確変こそなかったが、一度オールセブンが出ると、2円50銭の換金率(当時の平均相場)でも、ひと箱8千円弱にはなった。オールセブンが揃うたびに出玉を交換しなければならないホールが大半であったが、大当たり確率も甘く、何度も挑戦して当たり続ければ、結構な収入になったものである。

 高校に進学したばかりの頃の私はデジパチが怖くて打てなかった。ハネモノ以上のスピードでお金がなくなり、ハネモノと違って、いくら回ってもオールセブンが揃わなければなんの意味もない。せっかく習得したクギ読み能力もあまり役に立たなくなってしまった。よく回る台が勝てる台でもない。そのくらいのことは本能的に察知した。そして何かウラがあるに違いないとも思った。「遠隔操作」、「コンピュータ制御」といった話題が噂にのぼり始めたのもこの頃からである。

私の人生を変えた週刊誌記事


 そんな折、私の人生に決定的な影響を与える記事が『週刊宝石』誌に出た。私の行きつけのホールでは、ルーキーZという名のデジパチがあった。その攻略法が全国に流通する誰もが目にする一般誌に、なんとリークされてしまったのである。
 ルーキーZは上に一つのデジタル、下に三つのデジタルを持ち、その全てに7が揃った場合のみ当たりが発生する。『週刊宝石』には、そのリーチ目が公表されていて、7-553、7-331、7-035、5-035がそれであった。「この目が出れば、約50パーセントの確率で30回転以内に当たります」と某パチプロのコメントが紹介されていた。

 今でこそリーチ目はそれほどあてにならないが、この情報は恐ろしいほど事実であった。はじめは私も半信半疑であったが、ものは試しとばかりに最初からその出目で放置されている台を探して何度か打ってみた。そして、本当に約50パーセントの確率で30回転以内に当たった。

 当時を知らない若い世代の方は「そんなに都合よくリーチ目で捨てられている台があちこちに落ちているものか」と疑問に思われるかもしれない。しかし、ルーキーZは0から9の全ての数字が使われているわけではなかった。0、3、5、7しか使われていなかったため、数字の組み合わせも限定されていた。しかも、そのホールでは、全体の70パーセントの台がルーキーZという偏った機種の配置をしていたため、空席の台はいくらでもあった。30分も巡回を続ければ、一つくらいはリーチ目状態で放置されている台が見つかったし、2台並んでリーチ目状態で放置されていることも珍しくはなかった。(ホルコンに詳しい方は「おっ、並びだな」と独り言をつぶやいていませんか?) そんな時は一台の上皿にタバコかハンカチでも置いておいて、残りの台を攻めた。そして、うまくいかない時はスペアとして押さえておいた隣の台に移り、簡単に当てることができた。

 まだ高校生の身分にすぎなかった私はますます震えた。ルーキーZで30回転といえば千五百円か2千円の投資である。時には10回転以内で当たることもある。そして、当たれば約8千円がポケットに転がり込む!

 連日、私はリーチ目が出た状態で放置されている台を拾っては勝ちまくった。見つからない場合は打っている人を背後から観察し、リーチ目が出てすぐにやめた人の台を拾って勝った。30回転で当たらなければ別の台を攻める。時には4台連続で攻略に失敗することもあったが、次に2回連続で攻略に成功すれば、十分に挽回できた。又、自分の経験から上記のリーチ目の上段の数字が3に入れ替わった場合、それがハマリ目であることも看破した。時には、リーチ目が出た台を打つとすぐにハマリ目が出ることもあった。そんな台はすぐに捨てたため、無駄な投資を省くことができた。

栄光の時代の終焉

 しかし、こんな単純で面白い話はそう長くは続かない。雑誌で攻略法が暴かれたことと関係があるのかもしれないが、ルーキーZはどのホールからもすぐに撤去され、攻略法のわからないデジパチとハネモノだけが残った。しばらくは、ハネモノに戻って、小銭を稼いでいた私であるが、ルーキーZでぼろ儲けした栄光の時代が忘れられず、次第にハネモノでは満足できなくなった。

人は生活水準のダウンに耐えられない

 人は一度手にしたリビングスタンダード(生活水準)を落とすことができないと言われる。たとえば、一度でも洒落たマンションに住んだことのある人は、どんなに生活が苦しくても、二度と安アパートには住めなくなる。長年、車を持っていた人は、たとえ乗る機会が減っても、あらゆる犠牲を払って車を維持することに執念を抱く。実際は収入が激減すれば、贅沢も言っていられなくなるが、ひとたびリビングスタンダードをダウンさせると、人は大変な失望感と向き合って生きなければならない。

 私は仕事柄、芸能人、スポーツ選手との交流があったが、最盛期を過ぎ、あるいは引退して、今はかつてほどリッチでなくても、彼らの金銭感覚は少し普通の人とは違っていた。たいした距離でなくても決して歩こうとはせず、手を上げてすぐにタクシーを呼ぶ。外で食事を共にすると、食後は高級な喫茶店に場所を移し、お茶やケーキの飲食だけで夕食以上の勘定を支払う。

 芸能界には「アゴアシ付き」という業界用語がある。イベントなどで芸能人を招聘する時、「アゴアシ付きでお願いします」と言われれば主催者は食事代(アゴ)と交通費(アシ)を高額なギャラに上乗せしなければならない。又、芸能界には「並び」という業界用語もある。(ホルコンの並びではありません!

 たとえば、ある人のギャラが70万円とすれば、実際には源泉徴収税(10パーセント)を差し引いた63万円がその人の銀行口座に振り込まれる。ところが、「七並びでお願いします」と言われれば、777,777円という半端な金額がギャラになる。そこから源泉徴収税を引くと、ジャスト70万円になる計算である。たった一言で7万円も稼いでしまうのは解せない話であるが、すでに慣例化していることなので誰も文句が言えない。

 そのような厚遇に慣れた人々はそれが普通であると思い込んでいる。そのため、性格の良い人であってもつまらぬことで怒り出すこともある。
ある女優の話

 かつて、まだ少しは人々の記憶に名前が残っている引退女優にある仕事をお願いした時、予算の都合上、交通費は支払えたが、食事代が出せなかったことがある。ギャラは現役時代の5分の1で快諾してもらえたが、食事代(5千円払えば十分)を出す余裕がなかった。後でその人から「私は本当に惨めな思いをしました。こんな会社であれば、もう二度と仕事はしません」と三行半をつきつけられ、私は謝罪のためお土産持参で彼女が指定した高級ホテルのレストランまで足を運んだ。また怒られてはたまらないので、当然、食事代は会社の負担にするつもりでいたが、彼女は私が多忙であるにもかかわらずわざわざ指定の場所まで出向いたことに満足し、高い食事代を平然と支払った。私は「これでは、なんのためのお詫びかわかりません」と彼女の奢りを固辞したが、「いいんですよ。私はお金が欲しくて怒ったわけではありませんから」とかわされてしまった。つまり、自分が大事にされなかった(実際はそういうわけではないのだが)との思いが彼女に深い悲嘆をもたらしたのであった。

心の中での昇進

 随分と話が横道にそれたが、人は誰でも段階的なレベルアップを楽しむ習性がある。サラリーマンであれば、主任、係長、課長、次長、部長、取締役と徐々に昇進してゆくところに醍醐味がある。転職でたとえ給料が上がっても、肩書きが下がったり、権限が弱まったりするだけで不愉快に思うものである。

 パチンコも同じである。一度、デジパチで稼ぎまくった栄光の時代が忘れられず、私はハネモノなんてものは三流プロが攻略する機種であると勝手に決めつけ、デジパチ以外は打たなくなってしまった。チューリップ台のプロ→ハネモノのプロ→デジパチのプロと、心の中で昇進を楽しんでいたともいえる。

爆発機種の誕生と社会問題

 その後、CR花満開という確変機能が付いたパチンコが登場したのを機に、大工の源さん、モンスターハウスといった爆発機種が次々と誕生した。この頃から「パチンコ依存症」という言葉が生まれ、パチンコに負けてサラ金地獄に落ちる人、配偶者に愛想をつかされ離婚の憂き目に遭う人、そこまでひどくはなくても、給料の大半を連日のパチンコですり減らし、なんのために働いているのかわからない人などが珍しくなくなった。それが大きな社会問題となり、かつての庶民の娯楽が悪いものの代名詞のようになってしまったのは残念でならない。

 一時期は人々の射幸心を煽らないためという理由から連荘の上限は5連荘までという理不尽な規制もあった。しかし、こんな規制を始めたところで、世の中の流れは変えることができない。5連荘制限もやがて撤廃され、どのホールも次第にアツイ鉄板と化し、人々の悲喜こもごもの舞台と変容していった。

攻略研究の開始!

 もうハネモノに戻る気力は完全に失せていた。いつしかハネモノも時代遅れの斜陽機種に成り下がっていた。メーカー各社がどんなに工夫を凝らしても、運さえ良ければ、500円が1時間で5万円に化けるCR機の魅力を超えるハネモノ機など開発できるわけがない。

 海物語シリーズの元祖、CR海物語が出た頃から私は「海」しか打たなくなった。(※その後、紆余曲折を経て、現在は何でも打つようになりました)「海」に勝つためにホルコンの研究もした。しかし、ホルコンの知識だけでは収支は格段に上がっても爆発しなければ、たいした儲けにならないばかりか深追いすれば負けてしまう。

 私は次第に爆発狙いの研究に全てのエネルギーを傾注するようになった。そして、最終的にはホルコン攻略と爆発狙いの攻略を併用するしか勝ち目がないという結論に達した。そして、連日のように勝ちまくり、パチンコ収入が本業収入を超えるまでになった。当初は筆舌に尽くし難い苦労があったが、何事も精進を続ければいつかは花開くことを信念に前進を続けた自分がいた。

 私の所属するパチプロ集団、リヴィエラ倶楽部の切り札、最強攻略法・海殺しXはたゆまぬ努力と反省の繰り返しから生まれた、血と汗と涙の結晶であり、またの名を「夢の翼」という。

夢の実現は幸せの第一歩

 富だけで人は絶対に幸せにはなれない。築いた富を自分の夢の実現のために用いてはじめて幸せになれる。厳密に言えば、それでも完全な幸福にはほど遠い。これが富の限界なのである。人を幸せに導く友情、恋愛、家族愛などは富とは無縁のものである。富こそが人に幸福をもたらすものと考えるのは拝金主義者の妄想にすぎない。だが、 お金に全く興味を持たないロマンチストにも大きな見落としがある。夢の実現は幸福の一翼を担うものと知りながら、夢の実現と富との間に存在する、切っても切れない関係を彼らは直視しようとしない。

 薄暗いカフェバーの片隅で、ただひとり酒を飲んでいた私は900円を儲けて得意がっていた生意気な少年時代の日々を追懐していた。もしあの時の興奮がなければ今の自分はなかったと断言できる。そして、『週刊宝石』のあの記事に出会っていなければ、ハネモノの衰退とともにパチンコをやめていたに違いない。

 たった900円儲けただけの興奮と『週刊宝石』の記事。この二つの出来事が一人のパチプロを生み出した。人生は不思議な形で転機が訪れる。

ネバーギブアップ

 将棋の故・米長邦雄永世棋聖は幼い頃、まぐれで大人を将棋で負かし、「坊や、君は天才だ。きっと名人になる」と言われたという。当時の米長氏は将棋のルールを覚えたばかりの超初心者にすぎなかった。その米長氏に負かされた大人はどうしようもないほど弱かった。超初心者に負けてしまう人物に他人の才能を論じる力などあるはずもない。しかし、子供は純情である。米長氏は大人の戯言を真に受けて、「プロになれば名人になれる」と本気で信じたという。その後、めきめきと頭角を現した米長氏は本当にプロになってしまった。これだけでも十分に面白い逸話であるが、事実は小説よりも奇なり。米長氏は棋士としてのピークをとうに過ぎた49歳の時、7度目の挑戦でついに悲願であった名人の座を射止める。史上最高齢での名人奪取はマスコミの大絶賛を浴びた。何事も決して最後まで諦めてはならない。

 もしあの時、大人の戯言がなければ・・・運命とは数奇なものである。

リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

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学校の英語教育に対する「的外れな批判」を批判する

 学校の英語教育
 
本当に学校の教育が悪いのか?

 一般的な日本人は英語が話せない理由として、学校教育の欠陥を責めたがる傾向がある。「中学、高校、大学と10年間も英語を勉強して、ひとことも話せないのは学校教育に問題があるからだ」と得意げに語り、自らの努力不足を反省する声はまず聞かれない。「読み書きはできるが、会話はちょっと・・・」と多少は英語の素養があることを匂わせつつ、自分に足りないのは会話力だけと主張する人も高学歴者には多い。 

  大半の日本人は英語の読み書きもできない

 しかし、こんな弁解をする人の大半は英語の読み書きもろくにできないのが実情である。アメリカの中学生が使用する教科書を辞書なしで読解することもできない。書く能力に至っては論外と言える。実に摩訶不思議な英語を書き、ネイティブスピーカーを愕然とさせていることに気付かない。ごく簡単な手紙でさえ、まともな文法、自然な表現を用いて書ける人にはまずお目にかかれない。まともな英語が書ける人は例外なく会話もある程度はこなせる人である。

 私は未だに「読み書きに問題はなく会話だけができない人」に出会ったことがない。「会話は無理でも読み書きはできる」と豪語する人は、例外なく読む能力も書く能力もない。彼らは辞書を使って何時間もかければ、英文の内容が辛うじて理解できるだけであり、これを読む能力があると勘違いしている。正しくは「分析力がある」と言うべきであろう。そして、書くことに関しては、辞書を使ってもまともな英語を書くことができない。

 

 読み書きの能力の低さが会話力の妨げとなっている

 もし彼らが日頃から英文で書かれたものを多読し、文法や語法に気をつけながら英語で何かを書く習慣さえ身につければ、特別にスピーキングやヒアリングの練習などしていなくても、コミュニケーションがとれるレベルの会話は十分に可能であるに違いない。結局、読み書きの能力がないために会話ができないという重大な事実に気づくことなく「自分は読み書きはできる」と虚勢を張り、会話ができないことを学校教育のせいにしている。彼らの批判対象は常に「学校教育における英会話の欠如」である。

「英会話」という概念がそもそもおかしい  

 たしかに日本の学校では自然な英語がなかなか学べない。これは紛れもない事実であるが、英語圏以外の他の国では素晴らしい英語教育が行われているのであろうか。実際はどの国も日本と似たりよったりの状況にある。さらに、海外諸国では日本のように英会話学校が乱立していない。英語学習の参考書、カセットテープなどの教材も日本ほどには豊富ではない。学校の英語教育のレベルがどの国も大同小異であるとすれば、どう見ても英語学習の環境は日本がベストであると言わざるを得ない。にもかかわらず、トーイックの平均点が世界最下位である日本は各国から珍奇なまなざしで見られている。私は仕事で出会う外国人から「日本人はこんなに頭が良い国民なのに英語だけはどうしてこんなにひどいのですか」と何度も真顔で質問され、そのたびに回答に窮してきた。 そもそも「英会話」という言葉、「英会話を学ぶ」という発想自体が馬鹿げている。英会話という言葉は口が避けても言うべきではない。「英語を学ぶ」という心構えがなければならない。

読み書きの能力がヒアリングとスピーキングの力を伸ばす

 英語を学ぶとは、英語で読み、書き、話し、聞く能力を身につけることにほかならず、この中から二つの要素(読み書き)を除外するのは愚の骨頂と言わざるを得ない。子供と違って、大人は本能的に語学を学ぶことができないからである。大人というのは、子供にはない論理性を武器に語学を習得する。まともな読み書きができてこそはじめて会話が成り立つ。このなんの個性もない至極当然な主張を当ブログの記念すべき初回原稿のテーマとしたい。 書く能力は話す能力を助ける。読む能力は聞く能力を助ける。この普遍の真理に気付く人は意外にも少ない。我々が英語を話すということは、咄嗟に行う口頭英作文以外のなにものでもない。英語のヒアリングを行う際には、前後関係から話者の意味するところを汲み取ったり、次に続きそうな語句を予想しながら聞かぬ限り、長時間のヒアリングは体力が持たない。優秀な同時通訳者ほど相手がまだ言ってもいないことを先に訳してしまうミスを犯すと言われる。その一方、優秀な同時通訳者は衛生中継などのトラブルにより音声が全く聞こえない状況でも、冷静沈着に聞こえていない言葉を通訳するという神業も可能なのである。

 
小松達也氏の離れ業

 アポロ打ち上げの時、衛生中継で現場の実況アナウンスを担当した同時通訳者の小松達也氏は途中で放送トラブルに遭い、アメリカ人アナウンサーの声が途切れ途切れにしか聞こえなくなったという。イヤホンからわずかに聞こえてくる言葉はGod…family…protection…こんな単語が10秒に一回くらい瞬間的に聞こえるだけであった。ところが、小松氏は「神のご加護がありますように。家族の悲痛な願いが聞こえてくるようであります」と平然と通訳を続け、この「直感通訳」は約10分間続いた。後でアメリカ人アナウンサーが発言した英語と小松氏の日本語を比較した放送関係者はそのあまりの正確さに驚嘆したという。なんとこんな状況でも小松氏はアメリカ人アナウンサーの言ったことの8割近くを訳していたのであった。

 
 プロ棋士が盤面を見ずに目隠しをして棋譜(例:7六歩)だけを頼りに将棋が指せるように、どの世界のプロの芸も素人の度肝を抜くものがある。 

学校教育の落ち度は英作文教育の欠如にあり

 さて、話を本題に戻すとしよう。読み書きの能力は会話力の基礎を形成する。そして、読み書きの基礎は学校の英語教育を通じて養われる。これに自分の努力を加えてこそ、しっかりとした土台を築くことになることを忘れないでおきたい。日本の学校教育を批判するとすれば、英作文教育に全く力を入れていないことであろう。日本の英語教師は教えた英語を用いて生徒に何かを書かせるという訓練を少しも行っていない。英語をかなり本格的に学んでいる人の中には、ヒアリングは比較的容易にできてもスピーキングがなかなかスムーズにできないことを嘆く人が少なくない。その遠因は英作文の重要性を軽視した学校の英語教育にある。こういう趣旨で学校の英語教育を批判する人は極めて意識の高い、センスのある人と言えるかもしれない。

 
 イディオムの丸暗記と教師のデタラメな発音も問題

 もうひとつ日本の学校教育の欠陥を指摘するとすれば、丸暗記式のイディオムの覚えさせ方であろう。たとえば、as soon as ~は明治時代から「~するや否や」と教えているが、今どき日常会話でこんな古い言い方をする人は稀であろう。英語を習っていても何かピンと来ないという不満もよく聞くが、この点に関して言えば、当たらずとも遠からずかもしれない。

 
 最後にさらにひとこと付言したい。英作文教育同様に欠如しているもの、それは発音教育である。教師ですら正しい発音ができる人は少ない。正しい発音ができないために正しい英語を話しても通じないケースは少なくない。これは自信喪失を招くばかりかヒアリングの妨げにもなる。正しい発音を知ってさえいれば聞き取れる英語であっても、相手が自分の想像している発音とは違う発音で話すために理解できなかったり、複数の単語がリエゾンするために聞き取れないケースも多い。

自称クイーンズイングリシュを話す人々

 年配者の高学歴者の中には「僕らが習ったのはいわゆるクイーンズイングリシュなんで、俗に言う米語はチンプンカンプンでね」と気障な弁解をする人もいるが、こんなことを言う人の大半はカタカナ英語しか知らない。批判も弁解もすべてが的外れなのである。彼らはIt isn'tを「エリーズン」と発音するアメリカ人にクレームをつけているのであろうが、それ以前に「イトイズント」と発音する自分を責めなければなるまい。これのどこがクイーンズイングリシュなのか。アメリカ人もイギリス人も怒り出すに違いない。

 
 英作文と発音の徹底強化、これこそが英語上達に不可欠な鍵となると私は信じている。わかる人にはわかりきった話であり、極めて退屈に感じられたかもしれない。ご愛読に感謝する。 

リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

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【HP】 「海物語シリーズ攻略の秘伝公開」

                     自己紹介に代えて
 

 「パチンコはギャンブルではなく蓄財術の一つである」。これは私の所属するパチプロ集団、リヴィエラ倶楽部の座右の銘であり、私の人生を根底から支える金言でもある。

 私から英語とパチンコを取ったら何が残ろう。

 恐らくまともな職にもつけず、新宿あたりで路上生活を送っていたに違いない。まずまずの成績でまともな大学を卒業したが、サラリーマンに必要な勤勉さが私には欠如していた。パチプロに転身する前は会社勤めも経験した。しかし、仕事にムラがあり、営業成績の割には大成しなかった。そもそも毎朝同じ時間に満員電車に乗り込み、土日以外は企業戦士としてヘトヘトになるまで働くことを定年退職の日まで続ける肉体的、精神的自信が私にはなかった。

 同僚の結婚式に出るたびに、敬愛する上司が歌うフランク・シナトラのMy Wayを聞かされ、私は辟易した。なんの自由もなく自己実現もできない人がマイクを持つと人格が変わる。会社の奴隷のような人がYes, I did my way.と歌う姿は滑稽でしかなかった。

 私は世のサラリーマン諸氏を見下しているわけではない。むしろ自分には到底できないことを何十年も続けることのできる根気強さ、忍耐力に心からの敬意を表してやまない。だが、敬意と憧憬は違う。

 いつしか私は脱サラを本気で考えるようになった。脱サラ経験者であれば、誰もが経験することであるが、不安定な収入がもたらす生活苦、結婚問題等が私の頭を悩ました。

 脱サラしてからすでに5年の月日が流れていた。会社組織に身を置かずに生計を立てることは誠に難しい。しかし、その辛い期間、私は自分の収入不足をカバーする手段としてのパチンコに目覚め、必死に勝つための研究を重ねた。気がつけばパチプロというアウトローな世界に身を投じている自分がいた。しかし、私はパチプロとしての誇りを胸に生きている。私が本業でそこその成功を収めることができたのもパチンコの恩恵に負うところが大きい。

 結婚する頃には、本業とパチンコ収入を合わせて月90万以上の収入が稼げるようになっていた。

 私は法学部出身であるが、昔から英語を得意とした。現在の仕事は翻訳業務も多く、この特殊技能がなければ独立は不可能であったと断言できる。又、私が仕事やプライベートでお付き合いする人の約半分は外国人である。母国語も大事であるが、日本人が日本語でどんなに立派な話をしても、どんなに含蓄のある話をしても、それは決して世界には届かない。日本という狭い島国だけでお山の大将でいられるだけではないか。

 青春時代、私が全エネルギーを英語習得に傾注したのには深い意味があった。高性能なパソコンを所持していても、IPアドレスがなければインターネットの世界には入ってゆけない。同様に、どんなに豊富な知識や魅力的な人格を備えていても、英語を知らなければ全世界の人々と交流できない。これが私の信条であった。

 しかし、サラリーマン時代は生活こそ安定していたが、世界に羽ばたくことを夢見ていた自分にとって、単調な日々の繰り返しは耐え難いものであった。将来の不安を抱えながら、私は会社組織というセーフティーネットから飛び出し、今の商いを始めたが、当然の如く最初からお客様がいたわけではなかった。飛び込み営業もした。DMも出した。しかし、クライアントは見つからず。こんな苦悩の日々を支えてくれたものがパチンコであった。

 私は今でもパチンコを打つ。パチンコという無味乾燥なゲームこそが私の人生の原点であり、人生の友でもある。

 私から英語とパチンコを取ったら何が残ろう。

 森昌子さんは名曲「バラ色の未来」の中でこう歌う。
 ♪バラ色の未来の空に 私は飛び立つ 青い鳥になる♪

 英語やパチンコに興味のある方、自分らしい生き方にこだわりを持つ方、私とともに口ずさもうではありませんか。

 バラ色の未来の空で「青い鳥の詩(うた)」を。

プロフィール:

氏名:佐々木智親(ささき ともちか)
職業:英語通訳者
副業:パチプロ(リヴィエラ倶楽部所属)
趣味:マリンスポーツ、観世流謡曲、野鳥観察、チェス
リヴィエラ倶楽部ホームページ:「海物語シリーズ攻略の秘伝公開」

略歴:
東京都出身。高校時代より英語の学習を続け、海外在住経験もなく英会話学校にも通うことなく、17歳にしてペラペラになる。広告代理店等を経て、30歳の時に「人生90年の3分の1が過ぎた今が転機」と思い立ち、独立して現在に至る。独立当初、収入不足、借金増大に苦しみ、パチンコに開眼。徹底的にパチンコの研究をしてパチプロに。何百万にも膨れ上がった借金をパチンコで一気に返済。現在は最強攻略法・海殺しXのテクニカルサポートを担当。

リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
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