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学校の英語教育に対する「的外れな批判」を批判する

 学校の英語教育
 
本当に学校の教育が悪いのか?

 一般的な日本人は英語が話せない理由として、学校教育の欠陥を責めたがる傾向がある。「中学、高校、大学と10年間も英語を勉強して、ひとことも話せないのは学校教育に問題があるからだ」と得意げに語り、自らの努力不足を反省する声はまず聞かれない。「読み書きはできるが、会話はちょっと・・・」と多少は英語の素養があることを匂わせつつ、自分に足りないのは会話力だけと主張する人も高学歴者には多い。 

  大半の日本人は英語の読み書きもできない

 しかし、こんな弁解をする人の大半は英語の読み書きもろくにできないのが実情である。アメリカの中学生が使用する教科書を辞書なしで読解することもできない。書く能力に至っては論外と言える。実に摩訶不思議な英語を書き、ネイティブスピーカーを愕然とさせていることに気付かない。ごく簡単な手紙でさえ、まともな文法、自然な表現を用いて書ける人にはまずお目にかかれない。まともな英語が書ける人は例外なく会話もある程度はこなせる人である。

 私は未だに「読み書きに問題はなく会話だけができない人」に出会ったことがない。「会話は無理でも読み書きはできる」と豪語する人は、例外なく読む能力も書く能力もない。彼らは辞書を使って何時間もかければ、英文の内容が辛うじて理解できるだけであり、これを読む能力があると勘違いしている。正しくは「分析力がある」と言うべきであろう。そして、書くことに関しては、辞書を使ってもまともな英語を書くことができない。

 

 読み書きの能力の低さが会話力の妨げとなっている

 もし彼らが日頃から英文で書かれたものを多読し、文法や語法に気をつけながら英語で何かを書く習慣さえ身につければ、特別にスピーキングやヒアリングの練習などしていなくても、コミュニケーションがとれるレベルの会話は十分に可能であるに違いない。結局、読み書きの能力がないために会話ができないという重大な事実に気づくことなく「自分は読み書きはできる」と虚勢を張り、会話ができないことを学校教育のせいにしている。彼らの批判対象は常に「学校教育における英会話の欠如」である。

「英会話」という概念がそもそもおかしい  

 たしかに日本の学校では自然な英語がなかなか学べない。これは紛れもない事実であるが、英語圏以外の他の国では素晴らしい英語教育が行われているのであろうか。実際はどの国も日本と似たりよったりの状況にある。さらに、海外諸国では日本のように英会話学校が乱立していない。英語学習の参考書、カセットテープなどの教材も日本ほどには豊富ではない。学校の英語教育のレベルがどの国も大同小異であるとすれば、どう見ても英語学習の環境は日本がベストであると言わざるを得ない。にもかかわらず、トーイックの平均点が世界最下位である日本は各国から珍奇なまなざしで見られている。私は仕事で出会う外国人から「日本人はこんなに頭が良い国民なのに英語だけはどうしてこんなにひどいのですか」と何度も真顔で質問され、そのたびに回答に窮してきた。 そもそも「英会話」という言葉、「英会話を学ぶ」という発想自体が馬鹿げている。英会話という言葉は口が避けても言うべきではない。「英語を学ぶ」という心構えがなければならない。

読み書きの能力がヒアリングとスピーキングの力を伸ばす

 英語を学ぶとは、英語で読み、書き、話し、聞く能力を身につけることにほかならず、この中から二つの要素(読み書き)を除外するのは愚の骨頂と言わざるを得ない。子供と違って、大人は本能的に語学を学ぶことができないからである。大人というのは、子供にはない論理性を武器に語学を習得する。まともな読み書きができてこそはじめて会話が成り立つ。このなんの個性もない至極当然な主張を当ブログの記念すべき初回原稿のテーマとしたい。 書く能力は話す能力を助ける。読む能力は聞く能力を助ける。この普遍の真理に気付く人は意外にも少ない。我々が英語を話すということは、咄嗟に行う口頭英作文以外のなにものでもない。英語のヒアリングを行う際には、前後関係から話者の意味するところを汲み取ったり、次に続きそうな語句を予想しながら聞かぬ限り、長時間のヒアリングは体力が持たない。優秀な同時通訳者ほど相手がまだ言ってもいないことを先に訳してしまうミスを犯すと言われる。その一方、優秀な同時通訳者は衛生中継などのトラブルにより音声が全く聞こえない状況でも、冷静沈着に聞こえていない言葉を通訳するという神業も可能なのである。

 
小松達也氏の離れ業

 アポロ打ち上げの時、衛生中継で現場の実況アナウンスを担当した同時通訳者の小松達也氏は途中で放送トラブルに遭い、アメリカ人アナウンサーの声が途切れ途切れにしか聞こえなくなったという。イヤホンからわずかに聞こえてくる言葉はGod…family…protection…こんな単語が10秒に一回くらい瞬間的に聞こえるだけであった。ところが、小松氏は「神のご加護がありますように。家族の悲痛な願いが聞こえてくるようであります」と平然と通訳を続け、この「直感通訳」は約10分間続いた。後でアメリカ人アナウンサーが発言した英語と小松氏の日本語を比較した放送関係者はそのあまりの正確さに驚嘆したという。なんとこんな状況でも小松氏はアメリカ人アナウンサーの言ったことの8割近くを訳していたのであった。

 
 プロ棋士が盤面を見ずに目隠しをして棋譜(例:7六歩)だけを頼りに将棋が指せるように、どの世界のプロの芸も素人の度肝を抜くものがある。 

学校教育の落ち度は英作文教育の欠如にあり

 さて、話を本題に戻すとしよう。読み書きの能力は会話力の基礎を形成する。そして、読み書きの基礎は学校の英語教育を通じて養われる。これに自分の努力を加えてこそ、しっかりとした土台を築くことになることを忘れないでおきたい。日本の学校教育を批判するとすれば、英作文教育に全く力を入れていないことであろう。日本の英語教師は教えた英語を用いて生徒に何かを書かせるという訓練を少しも行っていない。英語をかなり本格的に学んでいる人の中には、ヒアリングは比較的容易にできてもスピーキングがなかなかスムーズにできないことを嘆く人が少なくない。その遠因は英作文の重要性を軽視した学校の英語教育にある。こういう趣旨で学校の英語教育を批判する人は極めて意識の高い、センスのある人と言えるかもしれない。

 
 イディオムの丸暗記と教師のデタラメな発音も問題

 もうひとつ日本の学校教育の欠陥を指摘するとすれば、丸暗記式のイディオムの覚えさせ方であろう。たとえば、as soon as ~は明治時代から「~するや否や」と教えているが、今どき日常会話でこんな古い言い方をする人は稀であろう。英語を習っていても何かピンと来ないという不満もよく聞くが、この点に関して言えば、当たらずとも遠からずかもしれない。

 
 最後にさらにひとこと付言したい。英作文教育同様に欠如しているもの、それは発音教育である。教師ですら正しい発音ができる人は少ない。正しい発音ができないために正しい英語を話しても通じないケースは少なくない。これは自信喪失を招くばかりかヒアリングの妨げにもなる。正しい発音を知ってさえいれば聞き取れる英語であっても、相手が自分の想像している発音とは違う発音で話すために理解できなかったり、複数の単語がリエゾンするために聞き取れないケースも多い。

自称クイーンズイングリシュを話す人々

 年配者の高学歴者の中には「僕らが習ったのはいわゆるクイーンズイングリシュなんで、俗に言う米語はチンプンカンプンでね」と気障な弁解をする人もいるが、こんなことを言う人の大半はカタカナ英語しか知らない。批判も弁解もすべてが的外れなのである。彼らはIt isn'tを「エリーズン」と発音するアメリカ人にクレームをつけているのであろうが、それ以前に「イトイズント」と発音する自分を責めなければなるまい。これのどこがクイーンズイングリシュなのか。アメリカ人もイギリス人も怒り出すに違いない。

 
 英作文と発音の徹底強化、これこそが英語上達に不可欠な鍵となると私は信じている。わかる人にはわかりきった話であり、極めて退屈に感じられたかもしれない。ご愛読に感謝する。 

リヴィエラ倶楽部 佐々木智親
(最強攻略法・海殺しXの開発者)

パチンコのことはおまかせ

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