
※本稿は2019年11月16日に海殺しX事務局便りに掲載したイチパチ海物語攻略の達人の最終章からの引用です。(一部、加筆及びカットあり)
諦めない男
「百折不撓」(ひゃくせつふとう)という言葉をご存知でしょうか。これは棋士の木村一基氏が色紙に好んで揮毫する言葉です。何度も倒れても、起き上がり、決して挑戦を諦めないという意味です。
デビュー当時の木村四段
ご覧の通り、木村氏は精悍な雰囲気がみなぎるなかなかのイケメンです。いや、「でした」と過去形で言うべきでしょうか!?
デビュー以来、木村氏は驚異的な高勝率を誇り、タイトルの獲得は時間の問題と思われていました。
しかし、勝率は高くても、棋士の最盛期である20代はタイトルと無縁のまま無常の時間が過ぎ去りました。棋士の第二の最盛期といわれる30代になってから漸く竜王戦の檜舞台に立ちましたが、七番勝負(先に4勝した方が勝ち)は渡辺 明竜王にストレート負けを喫しました。
その後、タイトルに挑戦すること5回、全てチャンスをものにできずに敗退を余儀なくされました。その中には3連勝後に4連敗してタイトル奪取に失敗するという不名誉な記録も含まれています。
悲劇のヒーロー
その後の木村氏は悲運の棋士として人気が急上昇しました。近頃は将棋のタイトルマッチがインターネット番組で生中継されることが恒例となっており、どの棋戦でも木村氏は名物解説者として招かれ、お茶の間の人気者になりました。
ファンを大切にする木村氏は常に初心者にもわかりやすい解説を心掛け、少しでも将棋を知っている人であればわかりきった手順でも決して手を抜かず、しっかりと解説する姿勢は将棋を覚えたての人に絶賛されました。
しかし、木村氏が初心者向けに解説をすれば、中級以上のファンは退屈します。そのこともよくわかっている木村氏は解説中にジョークを連発したりして、視聴者の全階層を楽しませる努力を惜しみませんでした。
いつしか木村氏は「解説名人」と呼ばれるようになりました。これは木村氏の人気の高さを示すものではありますが、現役棋士としてはあまり有難くない称号です。野球でもなんでもそうですが、通常、解説や評論の名手というのは引退した人です。
木村神話
又、長年の戦いでボロボロになり、頭髪が抜け落ち、ありきたりの中年男のルックスに変貌してしまった木村氏には「オジサン」というニックネームがつけられました。ファンは親しみを込めてそう呼んでいるだけなのですが、本人にとってはあまり嬉しくない愛称です。
しかし、将棋の強いオジサンとして木村氏は年老いても第一線で戦い続け、タイトルには無縁でも、その強さはタイトルホルダーに引けを取らないという「木村神話」が一部のファンの間で囁かれていました。
そして、今年(2019年)の9月にその神話は現実のものとなったのです。
久々のタイトル戦
王位戦の挑戦者決定戦でタイトル通算99期の羽生善治九段を叩きのめした木村一基九段は天才の呼び声高い豊島将之名人・王位への挑戦権を獲得しました。
豊島名人・王位は100年に一人の天才、藤井聡太七段に公式戦で4連勝という驚愕の強さを誇ります。(羽生ですら藤井には2連敗)
「現棋界の最強は豊島か渡辺か?」と巷では議論されています。(私は藤井七段が最強と思いますが・・・)
大方の予想
羽生を倒したところで木村の運も尽き、タイトルを賭けた七番勝負は豊島防衛で幕を下ろすというのが関係者の大方の見解でした。
木村は最悪で4連敗、最高で2勝4敗、順当に行けば、1勝4敗あたりで今回もタイトルには手が届かないだろうというのが戦前の下馬評でした。
シリーズ開幕後、木村2連敗・・・ああ、もうダメだ、と誰もが思いました。しかし、オジサンは諦めませんでした。百折不撓の男にとって勝負はまだこれからです。
木村、巻き返す
木村氏は今までの自分の努力が必ず実ると信じていました。シリーズ開幕前からファンレターも沢山届いていました。
熱狂的な木村ファンの声援を受け、オジサンは燃える闘魂と化し、少しも年齢を感じさせない凄まじい激闘を繰り広げました。

なんと両雄の戦いは3勝3敗のフルセットにもつれこみ、天下分け目の大決戦となる第七局、全国の木村ファンはインターネット中継に釘付けになりました。
王位戦は二日制の死闘です。二日目の夜戦に入ると勝敗の行方が気になって風呂にも入れないファンが続出しました。木村氏を尊敬するファンは汗ばんだ手でスマホを握ったまま、奇跡の瞬間をひたすら待ち続けていました。
「千駄ヶ谷の受け師」の異名をとる挑戦者が若き王者の激しい攻撃を巧みな受けの妙技で凌ぎました。最後は反撃に転じた老雄木村が猛然と襲いかかり、またたくまに豊島陣を受けなしに追い込みました。
ついに奇跡が・・・
豊島投了の瞬間、ニコニコ生放送の画面には「やったー」、「オジサン、おめでとう!」、「こんなにカッコイイ中年は見たことない」など視聴者からの温かいコメントで埋め尽くされ、対局者の姿がほとんど見えなくなってしまったほどでした。
ついに奇跡が起きた! 最盛期をとうに過ぎた解説名人が棋士としての絶頂期真っ只中にいる名人を撃破したのです。
デビューして23年、木村氏は46才になっていました。これは有吉道夫九段の持つ初タイトル獲得の最高齢記録(37才)を大きく塗り替えた歴史的瞬間でもありました。7度目のタイトル挑戦で初戴冠というのも信じ難い大記録です。
悲願のタイトル獲得後、涙を拭う木村王位
報道陣に囲まれた木村氏は「自分はタイトルには縁のない男かもしれないと思いかけた時もあったが、諦めずにやってきてよかった」と嗚咽をこらえながら胸の内を明かし、それを聞いていた全国のファンがもらい泣きしました。
挑み続けた人生
木村氏の執念の前に屈し、タイトルを一つ失った豊島名人ですが、まだ29才。今、行われている竜王戦では挑戦者として広瀬章人竜王(32才)を相手に3勝0敗と追いつめています。恐らくは竜王を奪取して二冠に返り咲くことでしょう。
現在、将棋界のタイトルホルダーはこの他に渡辺 明三冠(35才)、永瀬拓矢二冠(27才)の二人しかいません。いずれも20代、30代の指し盛りの棋士です。
史上最強の棋士とも称される羽生九段(大天才)でさえ、年齢的な衰えに抗しきれず、タイトルマッチになかなか絡めない現状の中、常に自分の力を信じて不可能とも思える目標に挑み続けた46才王位の存在は光り輝きます。
木村一基の名言
別のコラムでも書きましたが、「人は歩みを止めた時、挑戦を諦めた時に年老いていく」(アントニオ猪木の名言)のです。
かつて、私は木村氏のある名言にはっとしたことがあります。
将棋には絶体絶命のように見えて、辛うじて助かっている局面というものがあります。しかし、助かるための一手を指したとしても、それは敗北の瞬間を先送りしただけにすぎず、勝てる可能性は極めて低いという局面。
こういう時、大半の棋士はその一手を指すのはみっともないと考えて潔く投了することが多いのですが、木村氏は恥も外聞もかなぐり捨てて、その一手を指します。
「棋譜が汚れる」(将棋の内容が美しくなくなる)という批判を覚悟の上で、1%か2%しかない勝利の可能性に一縷の望みを託して。そこまでして負けまいとする理由を聞いて、私は息を飲むような感動を覚えました。
「負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように転落していくんだろう」(木村一基)
今回のタイトル獲得は誰もが躊躇する「目を覆うような手」を指し続けてきた(=勝つことだけにこだわってきた)木村氏に幸運の女神が微笑んだ結果と言えるでしょう。
【2021.3.11追記】翌年、藤井聡太棋聖を挑戦者に迎えた防衛戦で木村は屈辱のストレート負けを喫し、虎の子のタイトルを失った。
しかし、将棋の内容は決して悪くなかった。4局のうち2局は木村に勝機があった。「こう指せば木村の勝ちは動かない」という局面で2回ともその手を見送ってしまったため、時の運は藤井に味方した。
敗戦をふり返るインタビューで木村はそのような未練がましいことを一言も口にせず、「4連敗とは情けない限りです。また出直します」と力強く再起を誓った。
3ヵ月後、木村にリベンジの機会が巡ってきた。舞台はNHK杯争奪将棋トーナメント。両雄は再び相まみえた。藤井が最も得意とする角換わりの戦型を木村は堂々と受けて立ち、終盤、誰もが腰を抜かす馬捨ての鬼手で藤井を下した。
40代後半の年齢で藤井相手にこんな勝ち方のできる棋士が何人いるであろうか。筆者は木村以外に思いつかない。
リヴィエラ倶楽部
佐々木智親

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2021/03/11 (木) [勝負師の魂]