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【感動ポエム】砂の上の足跡(訳:佐々木智親)

砂の上の足跡
日本ではほとんど知られていないスピリチュアルな詩の邦訳

有名な詩

 キリスト教圏の国では知らない人がいないほど有名な作者不詳の詩がある。

 ”FOOTPRINTS IN THE SAND”という詩は日本では「砂の上の足跡」という邦題で知られている。

リヴィエラ倶楽部の翻訳.jpg 決して広く知れ渡っているわけではなく、一部のカトリック信徒の間でSNSを通じて拡散されているだけである。

 平易な英文で書かれているため、日本人でも学生時代に英語が得意であった人は簡単に読めてしまう。
 
 最初に原文を紹介しよう。

英語原文

FOOTPRINTS IN THE SAND


One night a man had a dream.
He dreamed he was walking along the beach with the LORD.
Across the sky flashed scenes from his life.
For each scene, he noticed two sets of footprints in the sand: one belonging to him, and the other to the LORD.
When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand.

He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints.
He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times of his life.
This really bothered him and he questioned the LORD about it.

“LORD, You said that once I decided to follow you, You would walk with me all the way.
But I have noticed that during the most troublesome times of my life, there is only one set of footprints.
I don’t understand why when I needed You most You would leave me.”

The LORD replied, “My son, My precious child, I love you and I would never leave you.
During your times of trial and suffering, when you see only one set of footprints, it was then that I carried you. 


感謝の証に 

カトリック.jpg この美しい詩を訳した日本人は数え切れぬほどにいるが、どの訳者も名の通った人物ではない。

 いずれの翻訳も原文を読んで感動した人が世に広めるために衝動的に訳したものと思われ、今では無数の訳詩が出回っている。

 私がこの詩と出逢ったのは、かれこれ三十数年前に遡る。以来、この詩に励まされて、今日までの人生を歩んできた。

 この詩と出逢えたことに感謝の気持ちを込めて、私も自分の訳詩をネット上に残しておきたいという渇欲が沸いてきた。Wikipediaにも出てくる詩なのに日本人だけ馴染みがないという事実はあまりにも悲しい。ひと肌脱ごう。

拙訳紹介

「砂の上の足跡」

ある晩、一人の男が夢を見た。
夢の中で、彼は神と並んで浜辺を歩いていた。
空の彼方に、これまでの人生が浮かんでは消えた。
どのシーンも、砂の上には二列の足跡が残された。

ひとつは彼のもの、もうひとつは神のもの。
己が人生の終幕が眼前に浮かび上がった。

その時、彼はふり返り、砂の上の足跡を見つめた。

我が人生の道程にたった一列の足跡しかない場所が幾つもあることに彼は気づいた。それが極度に落ち込み、悲嘆に暮れていた時のものであることにも。

彼は戸惑い、神に尋ねた。

「神様、私があなたに全てを委ねて生きると決めた時、あなたはずっと私と共に歩いて下さると仰せになりました。しかし、私の人生で最も辛かった時には、いつも一列の足跡しかありません。私があなたの助けを最も必要とした時、あなたが私をお見捨てになった理由が私にはわかりません」

 神は答えた。
「我が子よ、 かけがえのない我が子よ、 私はあなたを大切にしている
。 あなたを見捨てたことは一度もない。あなたが試練と苦難のさなかにいた時、一列の足跡しかないのは、私があなたを背負って歩いたからだ」


モデルは旧約聖書?

 この詩は旧約聖書の第二法の書(申名記)を現代風にリメイクしたものと思われる。

「荒野でも見たであろう、神なる主は子ども連れの親のように、おまえが歩いた道中、ずっとここに着くまで連れそってくださったではないか」(申名記1:31)

神の愛.jpg 律法五書の最後を飾るこの書物はまだ日本に文字が存在しなかった紀元前7世紀頃に編纂されたと言われている。

 当時のイスラエル民族に倫理を説く本であるため、現代人が手にして読み進めても、当時の中東の文化や風習を知らなければ真意を読み取ることは難しい。

 私は詩の原文にあったLordという言葉を「神」と訳したが、本来は「主」でなければならない。しかし、神やキリストを指す「主」という言葉は日本人の大半には通じない。

 原文の"I love you"という部分も「あなたを愛している」と訳せば、日本語では男女の愛(エロス)になってしまって、慈愛を意味するアガペの愛にはならない。

 文化の違いというものはかくも厄介なものである。ましてや2600年以上前の外国の書物の真髄を理解するのは至難の業である。

ラブレター!?

旧約聖書.jpg 「聖書は神様からのラブレター」という表現を好んで用いるプロテスタントの牧師さんは多い。新約聖書であればわからなくもないが、「旧約聖書はラブレターにしては不気味すぎる」と思うは私だけであろうか。

 "FOOTPRINTS IN THE SAND"の作者は旧約聖書が現代人に伝え切れない神の愛と慈しみの深さを短い詩でいともたやすく表現した宣教の達人かもしれない。

名曲紹介

ゴスペル.png この詩をモチーフにした詩と同名の名曲がある。歌の合間に詩の朗読が入る。英語が母国語に近い位置にある人は、信じる宗教を問わずこの曲に感動を覚えるに違いない。

(註・詩の内容に多少の違いがあります。それは原文が世界中に拡散していくうちに少しずつ文章が変わり、今ではどのバージョンが真の原文かわからなくなっているからです)

 今宵はこの曲を聴いて夢の箱舟に乗ろう。挫折から這い上がれそうな気がする胸の鼓動を道連れに。

リヴィエラ倶楽部

佐々木智親

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