頭で覚えることの限界
はじめは国際シンポジウムへの招聘を受け、ビジネスライクに考えていたフィリピン出張であったが、思いもかけず思索に富んだ素晴らしい旅となった。異文化に触れ、現地の人々と交流することは語学上達の近道でもある。勤勉な日本人は何事もねじり鉢巻で勉強しようとする。語学学習においても、ねじり鉢巻で覚えなければならない部分は確かにある。複雑な構文、専門用語などは体験を通して自然と身に付くようなものではない。しかし、ねじり鉢巻の学習にも限界がある。パチンコでホルコン(ホールコンピュータ)の仕組みだけ勉強して攻略にかかっても常勝者にはなれないのと同様、語学学習も強烈な経験を通して体得した自分なりのノウハウなくして進歩はない。
マザーテレサの英語には独特な訛りがあるが、コミュニケーション力に関して、彼女はネイティブスピーカー以上のものがある。明らかに体で覚えた英語である。日本語しか話されていない我が国で英語を学ぶためには、環境の一大変化が必要であろう。私には海外留学、海外在住の経験がないが、20代前半から外国人との接触が頻繁にあった。遊び仲間の大半が外国人という時期もあった。この環境変化がターニングポイントとなったことは否めない。
語学留学とは直接関係のない話を綴ってきたが、外国に行き、異文化と出会い、発想の異なる人々との交流することは語学学習に欠かせない要素の一つである。そこで目にした、あるいは、耳にした日本では考えられない現実に驚き、思索に耽ることが脳細胞を活性化させ、思考力のスケールを大きく広げる結果につながる。今回の旅でいえば、道端で出会った男との何気ない会話などは授業料のかからないレッスンでもあった。話す内容は他愛のない事柄であっても、初対面の人との会話で緊張をほぐすテクニックや咄嗟に反応するスキルなどが養われる。難しい英字新聞や英文雑誌を毎日多読すれば、それなりのボキャブラリーや文法力が身に付く。しかし、だからといって必ずしも会話力が上達するとは限らない。英語を学習する日本人の大半が労多くして実りの少ない方法で勉強をしている。
生前のマザーテレサはどれだけ歯をくいしばって英語を勉強したのであろうか。若い頃、机に向かい集中して学習した時期は確かにあったと思う。しかし、激務の中にあって、勉強ばかりに没頭することはできなかったはずである。特に、Missionaries of Charityを設立してからの彼女は自由時間の一切ない状態が死ぬまで続いた。彼女の一日は早朝のミサから始まる。そして、就寝するまでの間は祈りと労働のいずれかに従事している。遠出をする時も電車や車の中ではロザリオを祈っている。祈りが終われば労働が待っている。
厳密に言えば、彼女にとって労働さえも祈りの一形態にすぎなかった。祈りの言葉は唱えなくても、貧しい人たちとのふれあいの中で彼女の心は神と交わっていた。労働奉仕を通して神を賛美し、自分の願いを神に託す。これを祈りと言わずなんと言おう。こんな彼女が達者な英語を操るのは常に頭をフル回転させ体験から英語を学んだからにほかならない。
既述の通り、フィリピン語学留学は韓国人が考えた絶妙なアイデアである。まず物価が安い。渡航費も安い。これはフィリピンにとっても国益につながる。経済状況が芳しくないフィリピンは常に危機打開のウルトラCを模索している。一時期はナタデココの輸出で大いに盛り上がったが、食品業界には浮き沈みがあり、ブームが去れば祭りの後の静けさしか残らない。多くの実業家がナタデココの工場を作ったが、一部だけが残り、他は倒産してしまった。もっと安定した収入源がないものかとフィリピン経済界が苦慮している時に韓国人の間でフィリピン語学留学のブームが起こり、このブームは予想外に長続きしている。この国際化の時代に英語をマスターしたいと強く願う韓国人は多い。近年では韓国のビジネスマンがフィリピンで語学学校を立ち上げるケースも増えてきた。韓国人は豊かになったとはいえ、日本人と比べるとまだまだ収入が低い。日本人でもアメリカやイギリスへの留学となると懐がかなり痛む。韓国人はなおさらであろう。そこで近隣の英語圏、フィリピンに着目したわけなのだが、いつまでたっても人々の英語学習熱は冷めることがない。
フィリピンの英語学校というのは日本の英会話学校とほぼ同じと考えてよいが、幾つかの点で異なる。まず講師はフィリピン人である。当然ながら高学歴で英語の発音の良い人が講師になるが、フィリピン人の中で発音が良いといっても、英米人の発音には及ばない。これを気にする日本人は多いかもしれないが、実利を重んずる韓国人は意に介さない。この点は韓国人の方が利口かもしれない。フィリピンで英語を学べば、多少なりともフィリピン風の英語になる。しかし、フィリピンは立派な英語圏であり、ニュースも新聞も中心となるのは英語である。日本人には理解できない感覚かもしれないが、フィリピン人は国語(タガログ語)、現地語(ダイアレクト)、英語を巧みに使い分けて生活している。英語一色ではないので厳密な意味ではネイティブスピーカーとは言えないが、彼らにとって英語は決して外国語ではない。公用語である。公用語として英語を話す人々から英語を学び、彼らと同等のレベルになれば、その人の英語はもはや素人離れしたものとなる。これで上等ではないかというのが韓国人の考えだが、私も同感である。
フィリピンの英語学校と日本の英会話学校との第二の違いは授業時間である。日本の英会話学校はワンレッスン2時間くらいが標準であるが、フィリピンでは朝から晩まで集中講義が続く。スパルタ式の学校になると一日10時間のレッスンというところもある。食事と睡眠の時間以外はほとんどレッスン漬けということになる。ここで問題となるのは宿舎である。すぐ近くにホテルがあればよいが、なかなかそうもいかない。道路事情が悪く常時、交通渋滞が当たり前になっているフィリピンではホテルからバスやタクシーで通学するのも難しい。ところが、語学留学ブームに相乗りする形でフィリピンのホテル産業がこの業界に進出し始めた。早い話がホテルから学校への衣替えである。
ホテルが英語学校になれば、こんな楽なことはない。今までの客室が生徒の宿舎になる。もはやバスやタクシーで通勤する必要もない。通勤はエレベーターとエスカレーターで事足りる。ホテル内のレストランは生徒たちの食堂としてそのまま営業すればよい。宴会場、催事場はそのまま教室として使える。今まで清掃などをしていた従業員は従来通りの業務を続ければよい。大都市のホテルの入り口にはタクシー乗り場があるので買い物や週末の遊びはタクシーを利用すればよい。ちなみに、今回のフィリピン紀行において、私はタクシーを多用したが、セブ島でも一般のタクシーは非常に安く、一時間乗っても日本円にして300円くらいであった。5千円もあれば、一日チャーターすることも十分に可能であろう。平日は英語の勉強、週末はタクシードライバーを自分の専属運転手代わりにして遊び回るのも面白い。
フィリピンではとかく評判の悪い韓国人であるが、フィリピンに語学留学すれば、高確率で韓国人がクラスメートになる。韓国人がフィリピン人講師を雇って経営している学校ならば韓国人だらけといっても過言ではない。韓国では相当な年配者は日本語が話せるが、若い韓国人は当然ながら日本語がわからない。日本人も韓国語がわからない。必然的に日本人と韓国人が共通語としての英語でコミュニケーションをとることになる。ここにもう一つの醍醐味がある。
日本人も韓国人も英語力に大差はない。母国語訛りの特徴も比較的似ている。両者ともに初心者は簡単な言葉しか知らないのでブロークンの会話でも割と通じやすい。
又、能力別にクラス編成を行うため、クラスメートは全て自分と同レベルということになる。ネイティブスピーカーと違って速く話すこともないので、互いにスローな英語でコミュニケーションをはかる。これが非常に役立つのである。照れずに英語を話しているうちに、英語を話すことになんの抵抗もなくなるからである。
本来、ネイティブスピーカーの英語が流暢で外国人である日本人の英語が下手くそなのは当たり前のことである。ところが、つまらないことでプライドの高い日本人はネイティブスピーカーの前で無意味な劣等感を抱きやすく、妙な緊張感に包まれ、なかなか思うように英語が話せない。しかし、相手が自分と同レベルの英語しか話せない人であれば、急にリラックスして予想外にスムーズな会話ができることもある。この体験が貴重な副産物である。英会話習得の第一歩はつまらないプライドをかなぐり捨て、間違いを恐れず着実に声を出すことである。
このように英米留学とはひと味違った魅力をもつフィリピン留学が韓国ではブームになっている。日本も遅れてはならない。なにしろフィリピンは近い。簡単に行って帰ってこられる。どの学校も一ヶ月を一つの区切りにしているところが多いので、大学生であればバイトで少しお金を貯め、夏休みをつぶせばセンセーショナルな体験の数々ができるであろう。
さて、気になる費用は一ヶ月で大体10万円から20万円の間である。(航空運賃を除く)これでも高いと見るか、逆に安過ぎると見るかは個人の価値観によって違いが見られよう。ともあれ、今回、私がフィリピンの旅で体験したようなドラマティックな出来事が皆さんの身の上にも起こるに違いない。
机の上での勉強、路上での体験学習、強烈な異文化空間で育まれる幾多の思索、重なり合う思念の数々が生み出す新しい自分への脱皮・・・これらが一体となり、そこからパワフルな英語力の新芽が伸び出す。この瞬間を見逃してはならない。この瞬間が来たことを実感した人は努力さえ怠らなければいつの日か必ず話せるようになる。
先日、女房が米米クラブの石井竜也(カールスモーキー石井)氏のご自宅に招かれた。石井夫人(カナダ人)にお会いする用があったのだが、たまたまご自宅におられた石井氏からご自身のCDをプレゼントされた。「旅の途中で」というニューシングルであるが、どうやら発売前のものであったらしい。私はポップス系の歌をあまり聴くことがないが、CDのジャケットに惹かれるものがあり、早速、視聴してみた。素晴らしい作品であった。一般に演歌はメロディーがマンネリ化していて、ポップスはく歌詞がいい加減なものが多い。しかし、石井氏の作詞した曲は歌詞の内容に重みがあった。
♪ どこまでも続く道を 歩いている地平線の向こう
旅の途中 目指す場所までは まだ辿り着けそうもない ♪
このフレーズが何度も繰り返された後、
♪ 旅の途中で ふと気がついた事は
どんな事でも超えられる道はあって
俺の力で乗り越えて行くしかない
さあ 歩き始めよう ♪
という歌詞で終わっている。然様、英語も然り。始めたばかりの頃はとても話せるようになるとは思えない。何度も壁にぶつかる。しかし、その壁を乗り越える道はきっとある。英語学習に取り組んでいる皆さんは絶対に諦めてはならない。人生の長旅の途中には幾度となく試練が待ち受ける。バラ色の未来はその試練の先にある。
全てを忘れ、真っ白な心で、どこまでも続くセブの海の彼方をみつめてみよう。
水平線の向こうに、見果てぬ夢が揺れている。(了)
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2008/04/30 (水) [英語]
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